全音楽譜出版社の『演奏会用フルート名曲集 ゴールデン・エージ(マルセル・モイーズ 編/高橋利夫 監修)』第1巻のライヒェルト(ライヒャート)のファンタジィ・メランコリィクとタランテラを録音した。第1巻に2曲も選ばれているライヒェルトはどんな人だったのだろうか?


Fantaisie Melancolique, Op. 1

導入


主題


第1変奏


Largo


第2変奏



Tarantelle, Op. 3 (2024年7月31日に再録音した音源)





第1巻には、特に楽譜に誤りが多いと以前書いた。タランテラにも大きな間違いがある。

フルートパートの第24小節は、総譜が正しい。
第135小節と同様にするべき。

楽譜通りに暗譜をした方は、直してもう一度暗譜するのに、無駄な時間を過ごしてしまう。

特に第1巻は、粗雑な作りなので、注意が必要。

先日、YouTubeに出した、ReichertのFantasie Melancoliqueの総譜(ピアノ譜)には、フルートのブレスの位置を表すと思われる場所の「全て」に、Vとは逆の記号、アクセントと読める記号が付けられている。

ピアニストにとって、フルーティストがブレスをする場所は、タイミングを合わせるために極めて重要なだけに、ブレスの位置をあらかじめ記入したことは、実用的で良いことなのだが、なぜ、このような間違いの連発を、印刷に移る前に誰も気がつかなかったのか?この偉大な作品集への敬意をもっと払っていただきたいと心から思う。トゥルーの作品には、明らかな音の間違いがある。そのような間違いの連発は、この楽譜を信じて暗譜した楽譜購入者の時間を奪うことにもなる。

繰り返し言うが、この作品集自体は、素晴らしい。全音が誇る偉大な作品集だ。それだけに、明らかな多くの間違いを放置してはいけない。この楽譜を出版する権利がある全音は、もっと誇りを持つべきだ。これらの作品をある程度知っている演奏者に、この楽譜を使って演奏してもらって間違いを訂正し、実用的な楽譜にするべきだ。



本題に戻る。

インターネット上では、ライヒャートはライヒェルト、レイシェとも表記されている。

この作曲家の伝記についてのWikipediaは、英語だけではなく、日本語のページもない。カタルーニャ語、ポルトガル語とフランス語のページなどを参考に、略歴を書いてみる。Wikipediaが引用元にした以下のページも参考にしている。

Patrimônio belga no Brasil
REICHERT MATHIEU-ANDRÉ (1830 - 1880)
http://belgianclub.com.br/pt-br/creator/reichert-mathieu-andr%C3%A9-1830-1880

このウェブサイトが紹介しているOdette Ernest Dias氏によるライヒェルトのレコードは、ライヒェルトへの敬愛に満ちた素晴らしい内容。リリースされた数が少ないながらも、この素晴らしいフルーティストにとっての、代表作といっても良い。パリで磨き上げた繊細な感覚と、ブラジルに移り住んでから得たと思われる、明るい感覚の融合。YouTubeの音源では不十分と分かっている私は、LPレコードをブラジルから取り寄せ、真似ようと試みたが、短時間では無理だった。芸術とはそのようなもの。時間をかけて近づこうと努力して、熟成させなければならない。このレコードは、ブラジルならではの明るくて分かりやすい音楽づくりを、直接、伝えてくれる。

本題の経歴に戻る。

マチュー・アンドレ・ライヒェルト((Mathieu-André Reichert、1830年 - 1880年3月15日)は、ベルギー出身の作曲家、フルート奏者。 ショーロ(Choro、Chorinho)という、ブラジルのポピュラー音楽のスタイルの一つの先駆者と考えられている。このジャンルは、19世紀にリオ・デ・ジャネイロで成立した。

以下、『読むショーロfonfon for choro music』からの引用。
https://fonfon.jp/choroesantigos/joaquimcallado/

「「ショーロの父」と呼ばれるジョアキン・カラッド(Joaquim Antônio da Silva Callado Júnior (Rio de Janeiro,1848 — Rio de Janeiro,1880))」「の人生を語る上で、二人の人物の名前を忘れることはできません。
マチュー・アンドレ・レイシェ(Mathieu-Andre Reichert) と、エンリッケ・デ・メスキータ(Henrique Alves de Mesquita)です。レイシェはベルギー人でブリュッセルの音楽院で学んだフルート奏者でブラジル王ペドロ二世の招待で1859年ブラジル・リオデジャネイロに渡り1880年にブラジルで亡くなっています。
フルートの新しいシステムのベーム式のブラジルへの紹介者としても知られています。(現在のブラジルがフルート天国とも呼ばれるのは彼のお陰とも云えるのではないかと聞いたことがあります)
リオでの演奏会活動やポルカ(La Coquetto ,A Faceira)の作曲がカラッドに直接間接の影響を与えました。」

*YouTubeで検索して聴けるライヒェルトが作曲したLa Coquette, op. 4 は、フルートとピアノのための作品で、タランテラにも通じる陽気な作品。タイトルの意味を調べてみると、「思わせぶりな態度をとったり、遊び半分で相手の気を引こうとする女性の様子を表す単語」だという。

*現在でも優れたフルートの教則本の一つと見なされている7 Exercices journaliers pour la flûte, Op.5の作品番号に注目していただきたい。ここまで書いた中で、作品番号5までが登場した。飛んでいるOp. 2は、ヴェネツィアの謝肉祭Op.2で、この作品もライヒェルトの代表作の一つと見なされている。ヴェネツィアの謝肉祭は、ジュナン(Paul-Agricole Genin)の作品の方が、フルート作品としては広く知られているかもしれないが、ライヒェルトの作品もよくできている。ようするに、私が言いたいのは、最初の5つだけでも優れた作品が連続しているということ。

『マルタ-小さなサロン(音楽)』(Martha – Petit morceau de salon), Op. 18が確認できた最後の作品。フリードリッヒ・フォン・フロトー(Friedrich von Flotow 1812 - 1883)の代表作オペラ『マルタ』のメロディを元にした変奏曲。この作曲家は、本当に良いと自分で思えるものしか残さなかったのだろうか?Odette Ernest Dias氏のレコードを聴きながら思う。

さて、再び、略歴に戻る。

ライヒェルトは、1830年にベルギーのマーストリヒトで、遊牧民の音楽家の家庭に生まれた。カフェで演奏を始めて、パブで、ブリュッセル王立音楽院の*ジュール・ドゥムールと*フランソワ・ジョゼフ・フェティスに発見されて、王立音楽院に連れて行かれ、そこで師事した。数ヶ月のうちに大きな進歩を遂げ、17歳で一等賞を授与されるまでにそれほど時間はかからなかった。そして、ベルギー宮廷に雇用された。彼はヨーロッパの主要都市を訪れ、至る所で大きな熱意を呼び起こしたが、彼の*悪い習慣が、彼のキャリアを大きく傷つけ、何年もの間、彼は悲惨な生活を送っていた。


*ジュール・ドゥムール(Jules DEMEUR (1814-1882))は、ベルギーのフルート奏者で、ブリュッセルの王立音楽院でフルートを教え、ロイヤル・オペラの首席フルート奏者を務めた。

*フランソワ・ジョゼフ・フェティス(François-Joseph Fétis、1784年3月25日 - 1871年3月26日)は、ベルギーの音楽学者、指揮者、教師、作曲家、歴史家、音楽評論家。19世紀で最も影響力のある音楽評論家の一人であり、彼の膨大な伝記大要であるBiographie universelle des musiciens(1834年)は今日でも参考資料となっている。

*ムラマツ楽器の楽譜販売のページで、三上明子氏は、「ライヒェルトは、終生、飲酒など品行の面での失敗を繰り返した」と解説している。

出典元
http://www.muramatsuflute.com/shop/g/gG13018/

1859年、ブラジル皇帝ペドロ2世の招きで、リオデジャネイロのリリコ・フルミネンセ劇場(Theatro Lyrico Fluminense)で公演を行った。すぐにその主席フルート奏者になった。その後、サンパウロ、リオグランデ・ド・スル、ペルナンブコ、バイーア、パラで演奏会をして成功した。リオデジャネイロで、現在、「ショーロの父」と呼ばれる、当時のブラジルのフルート奏者、ジョアキン・アントニオ・ダ・シルバ・カラッドと親交を深めた。

*リリコ・フルミネンセ劇場は、1852年から1875年の間にリオデジャネイロ市に存在していた。

ライヒェルトは、リオデジャネイロを壊滅的に追い込んだ伝染病に罹り、髄膜脳炎による脳発作に襲われ、貧しい中で1880年3月15日に亡くなった。その8日後、リオのもう一人の偉大なフルート奏者、カラッドも、同じ伝染病、髄膜脳炎で亡くなった。




https://ameblo.jp/nativemarutakan/entry-12848272719.html
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