トゥルーのグラン・ソロ第3番と第5番を録音してみた。

これで3巻で構成される、全音楽譜出版社の『演奏会用フルート名曲集 ゴールデン・エージ(マルセル・モイーズ 編/高橋利夫 監修)』に収められている、合計3曲のグラン・ソロを全部録音したことになる。それぞれのユニークな内容が楽しめた。

第13番を録音した直後に、「昔の全音楽譜出版社の楽譜には間違いが多い印象が私にはある」と述べたが、ISR(International Standard Repertoires)のシリーズについては、とても質が高いと思っている。例えば、同じ編集者による旧版のモーツァルトのフルート協奏曲第2番の第2楽章にあったリズムの間違いが訂正されている。

今回、第1巻に収められている第3番については、印刷されている音自体が間違っているので、音にしてみるとおかしいので気づきやすいが、そういう楽譜への不信感が生まれたことから、総譜とパート譜の確認が何度も必要で面倒だった。一方で、第2巻に収められている第5番については、たまたま初版にアクセスできたので、総譜だけではなく、初版の総譜とパート譜を確認することができた。

第5番については、『ゴールデン・エージ』の総譜が初版の総譜を元に作られたと、比較して推測できたが、第181小節のターンの位置が違うのは、初版からの写し間違いであろう。初版総譜と初版パート譜で異なる第33小節のリズムの違いをどうするかは、演奏者の判断にゆだねられている。昔の全音の楽譜のミスの多さから、モイーズが手を加えたパート譜の該当部分が、実際のモイーズの意見なのかどうかは確信が持てない。この場所については、全体を繰り返して演奏したり、自分で2種類録音して聴いたりして最終的に自分で決めたのをYouTubeに上げた。

明らかな間違いが多数含まれるのが惜しいものの、『ゴールデン・エージ』では、装飾音符をどのように演奏するべきかや、自然なブレスの提案がされていて、単なる名曲集以上の、音楽そのものを学ぶ大きな価値がある。

全曲を通して聴くには、再生リストからお聴き下さい。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLfFfASVQuagqPGHrFQF09J5IoB6Fe1AWr

第3番から





第5番から



フランス語版Wikipediaに書かれている15のグラン・ソロ。( )は出版社。


グラン・ソロ第1番
グラン・ソロ 第2番 Op.70 (1835)
グラン・ソロ 第3番 Op.作品74(Paris:Troupenas 1839年)
グラン・ソロ 第4番 Op.77
グラン・ソロ 第5番 Op.作品79(Paris:Troupenas 1839年)
グラン・ソロ 第6番 Op.82
グラン・ソロ 第7番 Op.86
グラン・ソロ第8番
グラン・ソロ 第9番 Op.91 (Paris: Troupenas 1841)
グラン・ソロ 第10番 Op.92 (Paris: Troupenas 1844)
グラン・ソロ 第11番 Op.93 (Paris: Troupenas 1845?)
グラン・ソロ 第12番 Op.94(1846年)アルフォンス・テオドール・ルコワントに捧げられた。この作品は、1846年のパリ音楽院のコンクール作品。
*アルフォンス・テオドール・ルコワント(Alphonse-Théodore Lecointe 1817 - 1890)は、フランスの将軍、政治家。
グラン・ソロ 第13番 Op.96 (Mainz: Schott 1849年)
グラン・ソロ 第14番 Op.97
グラン・ソロ 第15番 Op.作品109(Paris: Brandus 1859年)




http://www.flutepage.de/deutsch/flutists/person.php?id=30&englisch=true

以下は、上記URLの英語の年表を和訳し、注釈を付けた。


1786年 9月12日にパリ生まれた。父はパリ音楽院講師でパリ・オペラ座のファゴット奏者だった。
ヨハン・ゲオルク・ヴンダーリッヒに師事。15歳ですでにフランス最高のフルート奏者と言われた。
*ヨハン・ゲオルク・ヴンダーリッヒ(Johann Georg Wunderlich 1755 - 1819)は、ドイツのフルート奏者、教師、作曲家。
1796年 パリ音楽院でヴンダーリッヒに学び始めた。
1799年 音楽院でコンクールで2位になった。
1801年 音楽院で1位になった。
1803年 パリのグランド・オペラ座の主席フルーティストになった。(1804年の可能性もある。)
1813年 ヴンダーリッヒの後任としてグランド・オペラ座のソロ・フルート奏者に就任。
1816年 パリ音楽院教授に就任。
1817年 ロンドン公演を行ったが、彼のスタイルがイギリス人に合わなかったため、ほとんど成功しなかった(1824年と1829年も同様)。
1822年 政治的な理由でグランド・オペラ座での仕事を終える。
1829年 再びグランド・オペラ座で働きながら、音楽院で教えた。教え子にはアルテス、ドゥメルスマン、ヴァルキエ、ドルス、ゴードンがいる。(Altes, Demerssemann, Walckiers, Dorus and Gordon)
バルザックの小説『カディニャン王女の秘密』にトゥルーの名が登場した。
1831年 ノノンとフルートの制作を始めた。
1851年 『フルート・メソッド』(Méthode de flûte, Op.100)を出版
1856年 引退し、ナントに移った。
1860年 レジオンドヌール勲章を授章。
ベーム式のの革新的なフルートを嫌い、4つのキーが着いたのフルートを生涯に渡って演奏した。パリの音楽院に彼の楽器の一つが展示されている。
1865年 7月24日ナントで死去。





https://ameblo.jp/nativemarutakan/entry-12848272719.html
新規生徒募集 新しい英語のクラスを作ります

https://ameblo.jp/nativemarutakan/entry-12843528462.html
フルートの生徒を募集します

金曜日を除く平日の5時から始まるフルートの生徒を募集中。初心者から中級まで。
勿論、平日5時からの時間は、英語の生徒も歓迎。

**********************

上智大学で教鞭をとった北原延晃先生が唯一認めた、北原メソッドを実践する英語教室

マル髙塾のホームページ
https://www.navita.co.jp/s/21045407/

お問い合わせ・取材
〒252-0029
神奈川県座間市入谷西4丁目19番26号
            マル髙塾 高橋 
電話:046-259-8979 平日 14:00-22:00

アルバイト採用情報
講師その他の採用は、全て私が育てた生徒に限定している。