本来、マル髙塾は、上智大学の北原延晃先生に認めて頂いた、日本で唯一の「北原メソッド」で、実績を出している英語塾である。この度、英語の生徒が集まりにくい時間に、フルートの生徒を募集する。YouTubeに出した演奏もお聴きになって、ご検討いただきたい。


募集要項

時間:平日5時から45分
(既に英語の授業が入っている金曜日は不可)

人数:最初はマンツーマンでも、1コマに3人程度まで増えると想定していただきたい。特に初級については、英語と同様に、他の生徒がいると、さらに伸びるものが伸びると授業を想像して考えている。

内容:初心者~初級者クラス、または初級者から中級者クラス

毎日の音作り、練習曲、小作品
中高生で吹奏楽部に入っている方は、部活動でやっている曲も可。

楽器と譜面台:各自で用意。
通販などで売られている格安の楽器は駄目。
ムラマツやヤマハなどの「スチューデントモデル」とも言われる低額の楽器か、それよりも良い楽器

年齢:不問ではあるが、フルートの性質上、自分自身が楽器の一部になる以上、身体能力が関係する。また、フルートは口から出す息の半分を捨てて音を出すので、かなりの量の息を吸ったり吐いたりする重労働である。全くの初心者として、加齢で身体機能が著しく落ちた方がはじめるのはかなり大変だと思う。

また、フルートを持つには体の大きさも必要で、始める年齢的については、小学校5~6年生以降が適切ではないかと思う。

授業を通じて目指すこと:
フルートの基本的な奏法と、楽譜を読むための基本的な知識の習得。
音楽は、作曲家、演奏者、聴衆でなり立つもの。人前で演奏できるような生徒を育てたい。

語学と同じように、楽器も最初に教わる先生は重要で、特に音色は最初の先生の影響を受けやすいと思う。私が最初に教わったのは吉田雅夫の弟子、小島千鶴子先生だった。その後、個人的におつきあいがあった大阪フィルのメンバーや、最近では、「アート☆アンサンブル★グリーン」を主宰する可知日出男氏に私の音を褒められた。日々の音作りでマルセル・モイーズの音を目指しており、自分の録音を聴いても、それを目標にしている影響が出ていると思う。

*30分程度のお試し授業をやっても良い。


英語塾として始めたマル髙塾。日頃から、生徒にクリエイティブな思考をするような要求をしていることから、自分の創造力・創造力を維持、発展させる必要性を感じ、長らく開けていなかった楽器ケースを開けてみた。毎日、授業の準備をしては練習する間に、自分の演奏を記録して聴いて改善する事を思いついた。学生時代のような技術は取り戻せてはいないが、音は取り戻せたと思い始めた頃から、英語の生徒が集まりにくい平日の5時に、一つか二つのフルートのクラスを作りたいと考えるようになった。

録音を、自分の整理のためにまとめようと思ったのがこのYouTubeのはじまり。
https://www.youtube.com/@Takahashi-Japanese-musician/playlists

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-91)の作品は、演奏者にとってとても難しい。中庸な範囲の中での、音量やタンギングの強さなど、あらゆるコントロールが求められる場面が少なくない。何かをやり過ぎるとすぐに演奏に傷がつくので、妥協が許されない。それが、フルートのコンクールで、モーツァルトの協奏曲が選ばれる理由であろう。

楽器屋で興味深い楽譜を見つけたことからやってみたアンダンテK. 315。



全曲再生
https://www.youtube.com/watch?v=vK_2h7aAsBQ&list=PLfFfASVQuagpAw1EqfeKe41bWo6plfpN8

続いて、のんびりと取り組むはずだったフルート四重奏を始めた途端に、小澤征爾先生の訃報が入った。

長らく、平日は午後5時から10時まで授業で埋め尽くされていたが、2月は、クラスの統合などで、5時からの1コマ分が空く日が増えた。小澤先生を失った喪失感が余りにも大きかったこともあり、2月中は、この作品に没頭することで、自分の心の健康を保とうとした。

そして、4つの四重奏曲の録音を、一応のところ終えた。



全曲再生
https://www.youtube.com/watch?v=ld-xh-XoAMg&list=PLfFfASVQuagooOvhuLjxiK_kWoBzVDQgv

モーツアルトのフルート作品は、東インド会社の社員で医者でもあったドゥ・ジャン(Ferdinand Nikolaus Dionisius Dejean, 1731-97)からの依頼で作られた。彼はフルート愛好家だった。依頼によって作られた作品は次の通り。

フルート四重奏曲第1番 ニ長調 K. 285 (1777)
フルート四重奏曲第2番 ト長調 K. 285a (1778)
フルート四重奏曲第3番 ハ長調 K.Anh. 171(K6. 285b) (1778 or 1781 ~ 1782)
フルート協奏曲第1番 ト長調 K. 313(K6. 285c) (1778)
フルート協奏曲第2番 ニ長調 K. 314 (1778)
フルートと管弦楽のためのアンダンテ ハ長調 K. 315 (1778)

それ以外のフルート作品は、次の2曲。短い期間に、フルート作品のほとんどが、集中的に作曲された事が分かる。

フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K. 299(K6. 297c) (1778)
フルート四重奏曲第4番 イ長調 K. 298 (1788)

ところで、モーツァルトが、父への手紙の中で、フルートのことを「我慢のならない楽器」と言っている。これは、当時の楽器の性能によって、フルートが出せるきれいな音と、苦手な音がはっきりしていたのが理由だと私は考える。フルートの魅力を引き出すためには、この楽器が得意な音を上手に作品で使うように書かなければならない。それが大変だったのだろうと思う。

フルート四重奏曲第1番は、当時の普通の形式だった3つの楽章からなる作品。明るく、全体的にスピード感がある内容。一方で、第2番は二つの楽章からなっており、対照的な2つの3拍子の楽章が面白い。歌手が唄うかのような第2番は、第1番と全く性格が異なるので、フルートの表現力の多様性を楽しみながらモーツァルトは作曲したのではないだろうか。

木管奏者たちにとって重要な一曲
セレナード第10番 変ロ長調 K. 361 (K6. 370a)『グラン・パルティータ』(1781/83-84?)

第3番もまた2楽章からなっている。第3番の第2楽章は、フルートが入っていない『グラン・パルティータ』の第6楽章に、さらに発展した形で使われている。このセレナードは、モーツァルトにとって、管楽アンサンブルの集大成のような大規模な作品である。残念ながら、これらの2曲がいつ作曲されたのか、残っている資料が不足しているため、研究者の間で言われている、大きくは外れているとは思えない作曲時期は推定されているに過ぎない。

個人的には、第3番の第1楽章については、モーツァルト自身が、フルートのスピード感ある作品を3拍子で作ろうと、自らの創作欲求で作曲したのではないかと考える。第2楽章は、『グラン・パルティータ』に使われている木管楽器から省かれているフルートのために、フルートで聴き映えする部分を、このセレナーデから抜き取って作られたかのように思える。

フルート四重奏第3番は、内容的には、4つの楽章と捉えることもできる。ソナタ形式の第1楽章の後、第2楽章のAndantinoの部分、すなわちテーマから第4変奏までを一つのまとまりと捉えて、残りの変奏、AdagioとAllegroが、短いながらも、第3、第4の部分になり、全体が4つに分けることができる。4つの楽章にしなかったのは、第3、第4の部分が短すぎるからだろう。自分の他の作品からの流用にしても、上手に組み合わせてあると思う。

何れにしても、近代フルートの形ができあがる19世紀にベーム式のフルートが誕生する前は、フルートに魅力的な音は出せても、全部の音階ではない制約があったので、作曲は、天才モーツァルトであっても簡単ではなく、彼の妥協を許さない姿勢が、彼のフルート作品群に反映していると私は考える。どれもフルーティストにとって魅力的な作品であるし、数にしてもそれなりに残っていることは幸福なことだと思う。

フルートの性質を研究することは、若い時のモーツァルトにとって、オペラや交響曲など、フルートが含まれる作品を生み出すには必要なことであったと思う。ドゥ・ジャンからの依頼でフルート作品に取りかかったのが、まもなく22歳の誕生日を迎える若さだった。若いが故に、「我慢のならない楽器」を、どのように自分の作品に取り入れて、人々に受け入れられるようにするかを問題意識して、将来のために真剣に取り組もうとしたと想像できる。

フルートの生徒募集を検討するにあたって、ご参考にしていただきたい。



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