こんにちは、毎日暑いですね。
前回、条文の解釈の仕方には「文理解釈」と「目的論的解釈」があるというお話をしました。
このことについてもう少し触れておきたいと思います。
国民の三大義務といえば、「教育」、「勤労」、「納税」ですが、「納税の義務」については、国の最高法規である日本国憲法の30条に次のように書かれています。
「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」
そして憲法84条には、
「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件を必要とする」
とされています。
ここから分かることは、「税金を課すには法律の根拠が必要である」ということです。
当然といえば当然です。
前回のブログでも述べたとおり、税の徴収は国民の財産を侵害するので国が何らの根拠もなく課税できるはずがなく、国民の代表で構成される議会(国会)で制定された法律に基づいて適切に課されなければなりません。
これを「租税法律主義」といいます。
租税法律主義が要請するとても重要な原則は、「(納税者は)どのような場合に、どのような税金が、どれくらい課されるのか(=課税要件)を明確に法律に定めなければならない」ということです。
租税法の教科書では、「課税要件法定主義」、「課税要件明確主義」と説明されています。(金子宏 『租税法 第23版』 弘文堂 2019年 P81、P84)
例えば、この取引をしたら一体いくらの税金がかかるのかということは、課税要件が明確になっていなければ計算することができません。
これぐらいの税金がかかるならば止めておこう(もしくは、これぐらいで済むなら構わない)の判断を、納税者自身が行えるようにしなければなりません。
この点について、東京地裁平成26年3月18日判決(訟務月報60巻9号1857頁)は、
「一般に、法令において課税要件を定める場合には、その定めはなるべく一義的で明確でなければならず、このことが租税法律主義の一内容であるとされているところ、これは、私人の行う経済取引等に対して法的安定性と予測可能性を与えることを目的とするものと解される。」(下線は筆者)
と述べています。
租税法律主義は、納税者の行う経済取引に対して「法的安定性」と「予測可能性」を与える点で重要だとしています。
一方、税法の規定の中には「不当に減少させる(法人税法第132条)」や「不相当に高額(同法第34条第2項)」といった「不確定概念」があるのですが、これについて同地裁判決では、
「もっとも、税法の分野においても、法の執行に際して具体的事情を考慮し、税負担の公平を図るため、何らかの不確定概念の下に課税要件該当性を判断する必要がある場合は否定できず(法132条がその典型例であるということができる。)、このような場合であっても、具体的な事実関係における課税要件該当性の判断につき納税者の予測可能性を害するものでなければ、租税法律主義に反するとまではいえないと解されるところである。」(下線は筆者)
とされ、明確性が問題になりそうな一定の「不確定概念」も、納税者の予測可能性を害しない範囲においては租税法律主義に反しないと述べています。
「不当」とは何をもって不当とされるのか、一体いくらだったら「不相当に高額」なのかということは法人税法のどこを見ても書かれていません。
不明確な規定のようにも思えますが、現在の判例では問題ないとジャッジされています。
このような「租税法律主義」という大原則があるのですが、法律の規定は文言(日本語)で書かれているので、その文言をどのように「解釈」するかで結論が違ってくることになります。
前回のホステス源泉徴収事件では、「計算期間の日数」という文言の解釈が問題となりました。
「その期間に含まれる全ての日数」を指すのか「出勤日数」を指すのかですが、「全ての日数」という判断が下されました。
課税要件が明確に規定されていても、解釈の幅を拡げる目的論的解釈を認めてしまっては、納税者の判断・予測に影響を与えてしまいかねません。
最高裁が「租税法規はみだりに規定の文言を離れて解釈すべきものではない」として「文理解釈」が原則であると判示したのも、納税者に法定安定性と予測可能性を与える「租税法律主義」から導かれる当然の結果なのです。