映画「オーロラの涙」を観た。
https://www.march.film/onfalling
本作品に登場する物流倉庫でのピッキング作業は、システムが端末に命令を出して、作業員が実際の物品を収集する。端末が在庫の場所を示して、作業員はその場所で目的の物品を探す。端末が物品の画像を表示するから、迷わずに見つけられる。見つけたらバーコードを読み取り、システムの指示と合致しているかを確認してカゴに入れ、次の物品の収集に移る。
作業員同士の会話は英語だが、概ね訛りが強い。津軽の人と薩摩の人が江戸弁で話しているみたいだ。それでも通じるから、仕事に支障はない。そもそも仕事自体に同僚との会話は不必要で、まったく会話をしない作業員もいる。
システム主体の仕事だから、そのうちピッキング作業そのものも機械が取って代わるだろう。物品の特定がバーコードのうちは人の作業も必要だが、すべての物品にICチップがつけられたら、機械が自動的に仕分けをすることになり、人間の作業は不要になる。つまり長く続けられる仕事ではない。それに、能力の向上やキャリアアップが望める仕事でもない。人よりも早くピッキングしたことが認められても、報酬はチョコレートバー1個だ。
オーロラは、移民たちがシェアしている大きな個人邸宅に住んでいる。プライベートでもほぼ会話はない。仕事場での勤怠登録その他もシステムだから、スマホまたはパソコンを持っていないと仕事にならない。利便性を考えれば、スマホの一択だ。
ケン・ローチ監督の2016年製作の映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」でもそうだったが、イギリスでは役所の手続きはほぼオンラインだ。スマホがないダニエル・ブレイクは、結局何の手続きもできなかった。役所も会社もシステムを取り入れているから、スマホは労働者にとって必須アイテムとなっている。
仕事に必須なスマホだが、オーロラは暇つぶしにも使っている。どうでもいい告知やニュースやドラマなどを見ている。暇な時間はたいていスマホをいじっている訳だ。
面接で仕事以外の時間は何をしているのか尋ねられたとき、オーロラは愕然とする。自分は勤務時間以外のとき、他人に言えるようなことを何もしていない。スマホをいじっているだけだと他人に説明するのは耐え難い。考えてみれば、仕事自体もシステムに命じられるままの単純作業だし、自分の人生はどこにもないのではないか。
職場で自殺した人の話題があり、オーロラは身につまされる。自分はただ生きているだけ。ベルトコンベアの一枚みたいに、なくなってもすぐに代わりがあてがわれる。死んでも生きていても、同じことだ。
ラスト近くには、オーロラが思い直すシーンがある。凍え死んでもいいと横たわったが、気がついたら助けられて生きていた。生きていることそのものが人生なのだ。人に誇れる人生でなくてもいい。辛い毎日だが、たまには楽しいこともある。仕事を変えれば、新しい出会いもあるに違いないし、やりがいも見つかるかもしれない。いや、何もなくてもいい。生きていれば、それでいいのだ。そんなふうに思えた。