映画「アイ・アムまきもと」を観た。
自分が死んだあとのことは知りようがないし、どうしようもない。誰もが自分の葬式は簡単でいいと思うだろう。遠いところに住んでいる人もいるだろうし、交通の便がいいとは限らないし、足元が極端に悪くなるかもしれない。葬式に参列するのは負担でしかないだろう。だから簡単でいい。
対して遺族はどうか。まず故人の遺志を尊重する。なければ社会通念に従って粛々と葬儀を執り行なう。骨を粉々にして散骨してくれと遺言されたらそうするだろう。骨の遺棄は罪になるが、散骨は罪にならない。その話は二週間前に公開された映画「川っぺりムコリッタ」で満島ひかりが演じた大家さんが話していた。
その「川っぺりムコリッタ」でも主人公山田の父親が死んで、役所から山田が骨を引き取るように依頼される。隣人の島田が引き取るように強く主張し、山田は引き取るのだが、骨の処分に困る。そこで大家が散骨をすすめたという訳だ。
そう考えると、同時期に公開されたふたつの映画が、ひとつのテーマの表と裏の関係にあることに気づく。孤独死の遺体と火葬された骨。柄本佑が演じた役所の職員と同じ立場を、本作品では阿部サダヲが演じている。
「川っぺり〜」と違って、本作品には宗教色はない。それどころか、最近は仏葬よりも神葬が増えていて、理由は安上がりだからだという身も蓋もない話が出る。
阿部サダヲの演じる主人公牧本は讃美歌を歌い、線香をあげ、玉串を捧げる。牧本にとって大事なのは葬式を挙げて死者を弔うことであり、宗教は何でもいいのだ。旅立ちはなるべく盛大に見送られるほうがいい。それが牧本の人生観である。
牧本は頭がいい方ではない。自分で自分の人生観を上手く説明できない。人生観といっても、深い思索から生まれた訳でもなく、盲目的な信念でもない。あくまでも牧本の気持ち、頗る強い気持ちなのである。牧本は全身でその気持ちを表現するが、初対面の人にはただの変な人としか映らない。役所の上司や同僚職員は牧本のことが分かっているから、これまで牧本は生真面目に、そして自由に職務を遂行できた。
なんとも無理矢理な設定だが、阿部サダヲの牧本には、こういう職員がいるかもしれない、むしろいてほしいと思わせる魅力がある。牧本のぶっきら棒な「わかりません」は、牧本の朴訥な人柄が響く。凄い演技力だ。性格俳優としての阿部サダヲの面目躍如である。
大団円は期せずして牧本の旅立ちと重なるが、牧本らしいあっさりとした終わり方であり、好感が持てた。無名の一職員に過ぎない牧本だが、揺るぎない強い気持ちを真正面からぶつけることで、人々の心を少なからず動かしてきたのだ。ささやかで、爽やかな感動があった。
