Quando l'amore diventa poesia

Lyrics:Mogol

Music:A.P. Soffici

Io canto il mio amore per te

Questa notte diventa poesia

La mia voce sarà

Una lacrima di nostalgia

Non ti chiederò mai

Perché da me sei andata via

Per me è giusto

Tutto quello che fai

 

Io ti amo

E gridarlo vorrei

Ma la voce dell'anima

Canta piano lo sai

 

Io ti amo

E gridarlo vorrei

Ma stasera non posso

Nemmeno parlare

Perché piangerei

 

Io canto la tristezza che è in me

Questa notte sarà melodia

Piango ancora per te

Anche se ormai è una follia

Non ti chiedo perché

Adesso tu non sei più mia

Per me è giusto

Tutto quello che fai

 

Io ti amo

E gridarlo vorrei

Ma la voce dell'anima

Canta piano lo sai

 

Io ti amo

E gridarlo vorrei

Ma stasera non posso

Nemmeno parlare

Perché piangerei

 

Io ti amo

Io ti amo

 映画「禍禍女」を観た。

https://k2pic.com/film/mmo

 

 神社の奥の古い樹木の言い伝えを使ったり、生霊のような存在を示したりと、意外に王道の和風ホラーになっている。変な言い方だが、ちゃんと怖くて、安心して観ていられる感じだ。

 南沙良が演じた早苗(某総理大臣と同じ名前だ!)のエスカレーションが見どころのひとつで、黒魔術みたいな謎の儀式が怪しくも面白い。仏教系の奇天烈な儀式を行なう斎藤工といい、男が禍禍女に襲われている様子を笑みを浮かべながら眺める女たちといい、夫が襲われている横で不敵に笑う妻といい、登場人物の異常さが、本作品を支えている。

 ジャンプスケアはそれほど過激ではなく、見ごたえのあるシーンがいくつもあって、異常な登場人物を自然に演じる役者陣の怪演が、なかなか面白かった。初監督作品としては、上出来の部類だと思う。

 映画「たしかにあった幻」を観た。

https://happinet-phantom.com/maboroshi-movie/

 

 河瀨直美監督の作品をずっと難解だと思っていたが、本作の散らかり具合を見て気がついた。自分の心のカオスを、写真をばら撒いたみたいにイメージ映像を並べたのが河瀨作品なのだ。難解なのではなくて、単にまとまっていない、あるいはまとめようとしないだけである。理解しようとすると難解に思えるが、イメージとして受け取るだけなら難解さはない。

 

 本作品では、特殊な場所でのエキゾチックな出逢い、フランス語と英語の混じった会話、初対面の外国人をお前呼ばわりする子どもなど、言語や文化の異なる人間同士の様々な関係性が、独特の力関係とともに、シーンとして次々に披露される。

 光と記憶と幻。それらが三位一体となって本作品の世界を形作っている。目を瞑れば光が記憶を呼び覚まし、幻を見せてくれる。人生は現実だが、記憶でもあり、幻でもある。

 

 主人公コリーにとってみれば、日本の医療の問題点について、なんとか解決の糸口を探して導火線に火を着けたいという現実がある一方、個人的な出逢いをした男性の運命も、ひとつの現実だ。どちらも大事で、どちらも疎かには出来ない。しかし俯瞰してみれば、自分自身の存在も含めて、束の間の幻かもしれない。或いは幻だと自分を納得させようとした。しかし失踪から1年後に見つけたカメラが、幻を現実に引き戻す。

 

 極めて実存的なイメージを持って生きる女性を、名女優ヴィッキー・クリープスが見事に演じてみせた。ルクセンブルク出身の彼女に「パリで生まれてルクセンブルクで育った」と、妙なセリフを言わせているのも、河瀨監督のイメージの広がりのひとつだろう。

 

 シーンをコラージュにしたような作品ではあるが、希望と絶望、愛情と無関心がないまぜになった、混沌とした世界観が朧げに浮かび上がってくる。尾野真千子や永瀬正敏が短時間の演技で沸騰したような優しさを見せたのが、本作品の温度感だ。世界は冷たいが、温かさもある。

 映画「ほどなく、お別れです」を観た。

https://hodonaku-movie.toho.co.jp/

 葬儀会社の担当者は、喜怒哀楽を表情に出す訳にはいかない。主演のふたりが能面のような顔で仕事に臨んでいるのは、当然のことだ。代わりに、北村匠海、永作博美、志田未来、夏木マリなど、達者な脇役陣が思いの丈を披露する。バランスがとてもいい。

 

 誰の心にも、闇があり、わだかまりがある。死者に対する思いも人それぞれだ。葬式はそういった心の澱(おり)を洗い流す儀式であり、再び日常生活に戻っていくきっかけにもなる。

 本作品の担当者は、どうすれば綺麗に洗い流せるかを考える。タイトルである「ほどなく、お別れです」のひと言を言うために、準備と工夫を怠らない。いちばん大切なのは、見極めだ。心の澱が十分に洗い流されたと判断できたとき、担当者は「旅立ちの準備が整いました」と言う。この言葉が言えれば、それに続く「ほどなく、お別れです」は自然に出てくる。それぞれのエピソードに、経緯(いきさつ)が丁寧に描かれているから、納得と感動がある。

 

 ラストシーンはやや蛇足感がある。浜辺美波が発する決まり文句を最後に、暗転して終わったほうが潔かった気がしたが、全体としては、とてもいい作品だった。

 映画「ランニング・マン」を観た。

https://the-runningman-movie.jp/

 

 面白かった。1990年製作の映画「トータル・リコール」に似た味わいのある作品で、独りぼっちの主人公が、持ち前のスキルと強運に助けられて、追いかけてくる敵を倒していくあたりは、かなりの爽快感がある。SNSとテレビに毒されて白痴化した大衆をとことん愚弄しているところもいい。

大宅壮一ではないが、いまのアメリカは「3億総白痴化」の状態にある。だからトランプを選ぶ。もちろん日本も「1億総白痴化」の状態にある。だから高市早苗が総理大臣になる。

 

 本作品では、貧困層と富裕層の二極化が進んだ社会で、そもそも住んでいる場所が異なる。貧困層が富裕層のエリアに入ろうとすると検問がある。逆は自由だ。貧困層はSNSとテレビに、自分よりも不幸な人々の悲惨な様子を求める。落ちこぼれの生徒がさらに落ちこぼれの生徒をいじめるみたいなものだ。精神性も最低レベルに下がっている。

 

 しかし稀にまともな人間がいて、主人公はそういう人間に助けられるという僥倖に恵まれる。ハリウッドのエンタテインメント作品らしく、予定調和満載だが、そこかしこに社会の本質を抉るシーンがある。製作陣はよく頑張ったと思う。