「東京物語」 (1953年・日本) 監督 小津安二郎

1953年、尾道に暮らす周吉とその妻であるとみは、東京に暮らす長男の幸一と長女の志げを訪ねる。
しかし、久々の再会だというのに幸一も志げも二人をどこか煙たがっている。

やがて両親の相手に疲れた幸一と志げは、二人を熱海旅行へと送り出す。
息子、娘に会えたことで満足して尾道に帰って行った周吉ととみだったが、帰宅後間もなくとみが危篤
状態になる。

幸一と志げが尾道に駆けつけたその夜に、とみは亡くなる。
葬儀が終わってから、志げは次女の京子にとみの形見の品を催促する。幸一も志げも、悲しみなど忘
れたかのように即座に東京への帰路に立つ。
葬儀の後に尾道に残ったのは、戦争で亡くなった二男の妻である、紀子だけだった。




家族のつながりとその喪失を描いた、小津作品の中でも最高傑作と名高い名作です。
公開年は1953年、つまり昭和28年ですね。
邦画では溝口健二「雨月物語」、今井正「ひめゆりの塔」、洋画ではルネ・クレマン「禁じられた遊び」、
ジョージ・スティーヴンス「シェーン」、チャーリー・チャップリン「ライムライト」などが公開されています。

書きたいことが多いのですが、やはり小津安二郎は日本家屋を美しく撮る監督だと思います。独特の
ローアングル、そしてcm単位で配されたキャストや小道具の数々。全くといっていいほどカメラを振る
ことのないカット。


そして、映画という媒体を通して繰り返し繰り返し家族の姿を描いているという点。
私が小津作品に惹かれる理由はここにあります。

時代によって家庭の生活は変わっていきますが、家族という共同体がはらんでいる本質的な問題は
いつの時代も変わらないものです。
失ったときに気付く何か、というと野暮かもしれませんが。
そのつながりがあまりにもありふれているため、家族という存在が当たり前になっている。

しかし、この東京物語は、家族を構成する父や母、息子や娘というある種の役割を持って生活している
人々が、実は個人という別個の存在の集まりであることを強く認識させられます。
役割を持って生活すること、それが家族を示す証になっているからこその危うさが、巧みに表現されて
います。

家族の姿をきちんと描くということ、それは私のなかの大きなテーマなので、小津安二郎作品は敬愛す
る映画である以上に、到達するべき目標でもありますね。








それにしても、毎回、何を選ぶか本当に迷います。
週3、4回更新できるほどの筆力があれば観た映画全て書くことができるんですけど。
撮る方でも進展ありました。
近いうちに書きます。