誰もが輝く「人間主義の世紀」へ! 広布大願の実現が創価の師弟の魂
前夜の雷雨はやみ、鮮やかな虹もかかり、五月晴れの空が広がりました。
新たな広宣流布への旅立ちを、諸天も大喝采で祝福してくれているような朝でした。
自宅を出る前、私は一首を詠みました。
「負けるなと 断じて指揮とれ 師の声は 己の生命に 轟き残らむ」1960年(昭和35年)の5月3日。
東京・墨田区の両国にあった日大講堂で、私の第3代会長就任式となる春季総会が行われました。
恩師・戸田城聖先生の第2代会長就任から9年後の同じ日です。
【日大講堂】-東京・両国にあったドーム型のホール。創価学会は、1954年(昭和29年)5月3日の第10回本部総会以来、1977年までに約280回の会合を開催。池田先生の第3代会長就任式や日中国交の正常化を訴えた第11回学生部総会もこの会場であった。
『発迹顕本した弟子の自覚』
正午、大鉄傘を揺るがすような同志の手拍子と学会歌の歌声の中、私は1階後方から正面壇上に向かって歩みを運びました。
仰げば、恩師の大きな遺影が見守っていました。
”広宣流布の大願を果たせ! 断固と指揮を頼むぞ! 断じて負けるな!”-先生の厳たる声が聞こえるようでした。
先生は第2代会長に就任されるに際して、創価学会は今や発迹顕本したのだと断言されました。
それは学会員の中に、広宣流布の師匠と共に誓願を果たさんとの、地涌の菩薩の自覚が浸透し、敢然と、皆が奮い立ったことを宣言されたのです。
【発迹顕本】-「迹を発いて本を顕す」と読み下す。宿業や苦悩を抱えた凡夫という迹(仮の姿)を開いて、凡夫の身に、生命にそなわる本源的な、慈悲と智慧にあふれる仏の本来の境地(本地)を顕すこと。
【地涌の菩薩】-法華経従地涌出品第15で、釈尊が滅後における妙法弘通を託すべき人々として呼び出した菩薩たち。
大地から涌出したので地涌の菩薩という。