私にはお母さんがいません。 



母という人が1人います。


大人になってからは周囲の人にその人の話をする時

母と呼んでいるので

私はその人を母と認識をするようになりました。


でも、母と話すときはママと呼んでいます。

子供の頃の名残です。

私もあと数年で40才になるのだけれど

私の声で私の耳に再生されるママという音は

私の中の暗い部分を引き出します。

呼ばれるのには慣れたけどやはり呼ぶには今でも勇気がいるのです。




なんでか、子供には言えないことがあります。


おばあちゃんはママのママなんだよと。

なんでかそれが言えません。


ママは誰から生まれたの?

そんな無垢な質問にはいつも

海からだよと答えさせてもらっています。


子供も分かっています。

冗談だとしっかりわかっています。

それでいいのです。

なんとなくぼやかして見えなくしておきたいのです。

たとえその発言が回り回って母との確執や溝を生んだとしても

どうしてもそこは私の口からは言えません。






祖母が亡くなった時、思いました。

あと1人だと。


私を悪い子だとか、悪い子はいらないとか、

お前は拾った子だとか、お姉ちゃんは良い子なのに。

そう言ってきた人間が1人いなくなったんです。


母も言っていました。

お姉ちゃんはできるのになんであんたは。

あんたなんかうちの子じゃない。


そんなあと1人が亡くなったとき、私はどんなふうに思うのでしょうね。





今でも母が見ている人間は私じゃないと思う。

私のように見えてる誰かなのだと思う。

私は実家に行く時いつも私じゃない誰かになる。




それが今日はなんでか

いつも以上に

しんどいのです。




悩んだり苦しくなったりすると

お母さんに会いたくなる。


どんな人だろう私のお母さん。


今夜はあまりにつらかったので

1人でこっそりお母さんに話しかけてみることにしました。お母さん。





私の母は60才になった今でも無邪気な子供のようです。

あのね、あのねと自分の話ばかりします。


それを聞いてあげることにこの頃私はだいぶ疲れてしまったのです。

だから私だってたまにはお母さんに話を聞いてもらいたくなる。




今日は母の日でしたね。


うちの母もプレゼント喜んでくれました。

旦那と一緒に届けたので尚更とてもご機嫌でした。



そう、このまま安心して

惨めな幼少期を引きずった私のことは忘れて亡くなって欲しいと思うのです。



そしてあわよくば私は

母の棺にたくさんのお花と手紙と

幼少期の惨めな自分諸共納め

全部煙にしてしまいたいと思うのです。





私にはお母さんがいません。

そう言ってみたら心が少し軽くなりました。