あんまりこういうことは言いたくないんだけどね。
実家の近くに家を建てたのは間違いだったなぁ。
親と毎日顔を合わせるからね。
子供の世話もどうしてもお願いしなきゃならないしね。
色々なことがうまくいっている。
つまづくことが多かったけど人生の帳尻合わせはできた。確実にできた。
穏やかで話しやすいと人から言われる。
ケンカの仲裁もする。ラインで話を聞くことも多い。
数人いれば揉め事もある。
誰の話もうんうんと聞いていると自分がとんでもない二枚舌みたいで不安になる。
無責任な八方美人なんじゃないか?
とりあえず事がうまく運ぶよう、気持ちを落ち着けてもらう。
話しやすいって思ってもらえると嬉しい。溜め込むよりは話して欲しい。
実家の母にも同じだ。
小さい頃の話だけど、機嫌が悪い時はそっと陰で見ていてご機嫌を直してもらうチャンスを伺う。
冗談を言ってズッコケると苦笑いからだんだん良い笑いになるから、しめた!という具合。
そこまでくれば一安心。もちろん失敗して余計に怒られる時もある。
週末の朝は機嫌をよくいてもらいたいから、日曜日の朝、親が起きる前に二階の廊下と階段の掃除をしておく。
機嫌が悪くなる理由はわからないけど、とりあえず私は姉と違って出来の悪い問題児だそうだ。
祖父母が亡くなってだいぶ丸くなった。
最近は毎日仕事を終えて実家に子供を迎えに行くと立ち話少しして帰る。
子供の習い事のこととかお願いすることとか近況報告。
母親は自分のマシンガントーク最優先という人だから、私が話し出してもすぐに話を変えて自分の話を延々する。
すると私はそっか、うわぁ、それで?やだー!と相槌をうっておく。
パート先や趣味の習い事で何か面白くない事があると愚痴を聞いてやる。
知らない人と知らない人のやりとりを説明されて愚痴られる。わからないまま話は進む。
へぇ、わぁ、変な人!と笑っておく。
前にも聞いて覚えている登場人物は、あの○○の人でしょう?と一言加えると話し手の顔はパッと華やぐ。
それを見て安心して、子供を連れて自宅に帰る。
でも
自分の気が乗らない時は私がきても顔も上げない。
またねーと言って去るも返事はない。
でも一応言っておく。またねー!
だから結構毎日内心イライラしながら自宅に帰る。
でも母親に笑ってもわないと落ち着かないから、そうしてる。
小さい頃の自分がずっとそこにうずくまっている。
昔、親との関係が修復できないくらい壊れた時がある。
でも子供ができてから、何もなかったように復活した。
子供を可愛がってもらって自分を可愛がってもらってる気になっている。
時々そんな自分がものすごく虚しい。
母親の孫への関わり方はやはりちょっと変わっている。
小さい頃のことを思い出す。だから仕方なかったんだなと思うことにしてる。ちょっと感性が独特なんだ。
本人に悪気はない。
父もやはり家庭内が荒れてると時々変だったけど、
可愛がってもらった記憶のほうがある。
最近孫を世話しながら、今、君たちの子供の頃を見ているようで可愛いと話してくれた事がある。
私、その言葉を忘れない。
小さい頃は大変だったけどそれは父も同じで。ようやく孝行ができたのかもしれないと思った。
でも、それでも小さい頃の自分はまだそこにうずくまっている。
そんなに都合よく過去の埋め合わせはできないものかもしれない。
今、こんなふうに生きてる。
人並みにできない人間だったけど、帳尻合わせはうまくいっている。
このままここでこうして生きていくしかないのだろう。
でも
実家の近くに家を建てたのはやっはり間違いだったなぁ
小さい頃の自分がまだそこにうずくまってる。
それが視界に入る度に、あとで。あとで助ける。そうつぶやきながら無視をし続ける。
毎日母親に会う度に、母親が近ければ近いほど
頑なにうずくまって顔を上げない。
もし遠かったら、会わなかったら忘れて顔を上げてくれるのか?
いや無理かもな。
このまま、円満な顔で、終わるのを待つ方が、きっと良かったなって思える。
背中を向けたら見えなくなるだけで、消えてなくなるわけじゃないんだよなぁ。
だからここにいるのを決めた。
とは言え。
いつまでも視界に入ってくるあの子のことが時々すごくしんどくなるんだよねぇ。
ねぇ、私のどこがいけなかったの?
ダメなところがあれば直すから。どこがいけないのかおしえてほしい。
「全部。」