平日真っ只中

こんな深夜にこんばんは。

みなさまいかがお過ごし?


お久しぶりになってしまいました。

どうせ明るいことなんか言わない私のブログ

今夜も明るい話は抜きで参ります。


と、いうより

暗さの裏には絶対に明るさがついてあって

明るさの向こうにはいつも闇が手招きしていて。

飲まれまい飲まれまいと必死にしがみついているわけ

ですよね?

みなさんもそうでしょう。

大なり小なり、そうでしょう。



明日も朝が来たら重い体を持ち上げて

明るい方の私で外へ出て1日を過ごすのです。


泥のようになれるのは今だけ。



そんな泥状な現状ですが

ふとした時に死にたいという気持ちが湧いてくる。


死にたいというのは生きたいということ

とかなんとか、誰か言ってました?

そう確かに誰かに死にたいと打ち明ける時

それって助けてってことだったりする。


だが

私の心に薄暗い幕を張っている

身動き取れなくしてくるこの絶望末期の諦めは

無になりたいって気持ちだ。


眠るのは素晴らしい。

手軽に静かになれる毎日やっても誰にも怒られない無。

なので眠れない地獄ときたら。ねえ。



それと、ポータブル無。

これももはや手放せない。

明日も明後日もその次も永遠に固定されたトーン、固定された笑顔で日々をやり過ごす。

誰も心に侵入させない。でも決して関わらないわけでもなく。

携帯型の無。

どこにいて何をして笑っていても心は無。

これは最近毎日持ち歩いてる。


でもこれにはかなり副作用があるみたいだ。


ふと、死のうと思う。

ふらっとコンビニにいくようなそんな軽さで死のうと思う。

ただ明日をやめてしまうっていうだけ。

進み続ける体を終わらせるだけ。

葛藤もそこにはないみたいだ。


ポータブル無を持ち歩いていても

少しの隙間から人の明かりが見えたなら

少しずつ広がってまた繋がることもあるのでしょうけど。


今はまだ明かりが見えないほどぴったり閉まってて

無を持ち歩いていない時には

知人を避けたり目も合わせなくて外に出られない気持ちになっていたりします。


大なり小なり、みなさんもあるのでしょう。



 

死んだら何にもならない、まず生きて

休んでって


ごもっともでございます。


休むと重たくて暗かった何かが少し明るく楽に見えることもありますしね。


ほんとにそう。バランスを崩すほどがんばっちゃいけないものです。




私の諦めの無には

こうしてでもまだ生きるって希望がついていて。


私の明日の笑顔には

絶望の泥が塗りたくられている。



みんなは、どうやって生きてる