雲を見ながら、昔と未来のことを考えた

今日は海を見ながら、雲を見て遊んでいました。

「あの雲、何に見える?」

左の雲はタツノオトシゴ。右の大きな雲は、バイソンのようにも見えるし、何か大きな動物のようにも見える。別の雲は、鼻が右、しっぽが左の小さな子犬に見えました。

それをChatGPTに見せて、「この雲の形をなるべく残したまま、少しだけ動物らしくして」とお願いしてみました。

でも、最初は少しやり過ぎでした。雲だったはずなのに、立派な動物たちが空に現れて、まるでファンタジー映画のようになってしまったり、タツノオトシゴが逆方向を向いていたり。

「違う違う、もっと雲のままでいい」
「子犬はこっちを向いてる」
「鼻は右、しっぽは左」

そんなことを何度も言いながら、少しずつ私が見えていた形に近づけていきました。

やっているうちに、子どもの頃のことを思い出しました。

私は小さい頃、母と一緒によくこの遊びをしていました。

空を見上げて、
「これ、何に見える?」
「あれは犬かな」
「こっちは何か走っているみたい」

そんなふうに、何でもない雲を見ながら二人で想像するのが好きでした。

そして面白いことに、日本で育った夫も、子どもの頃に同じような遊びをしていたそうです。

ロシアと日本。育った国も、言葉も、子どもの頃の環境も全然違うのに、同じ空を見て、同じように雲の形を想像して遊んでいた。

私たちが出会った頃も、空を見ながら「あれは何に見える?」と話すことがありました。

そういう小さな共通点が見つかると、不思議と少し嬉しかったのを覚えています。

そして今日、同じ遊びを今度はAIとしている自分に気づきました。

ここまで考えると、少し未来のことも気になります。

これからロボットやヒューマノイドがもっと身近になったら、子どもと一緒に空を見て、

「あの雲、何に見える?」

と話す日も来るのでしょうか。

ロボットはきっと、いろいろな答えを出せるようになると思います。

「犬ですね」
「ドラゴンにも見えます」
「前に見た雲にも似ています」




そんなふうに、もしかしたら人間よりたくさんの候補を言えるかもしれません。

では、そこまでできるようになったら、ロボットは本当に人間の代わりになれるのでしょうか。

私は今日、雲を見ながら少し違うことを思いました。

私が覚えているのは、雲が何の形だったかだけではありません。

母と一緒に空を見たこと。
同じものを見て、二人で笑ったこと。
母が隣にいた時間そのものです。

きっと息子も、将来すべての雲の形を覚えているわけではないと思います。

でも、「誰と見たか」は残るかもしれない。

だから未来の大事な問いは、ロボットが人間と同じことをできるかどうかではなく、私たちが人間にしか残せないものは何なのか、なのかもしれません。






一緒に空を見ること。
同じものを見て、違うものを想像すること。
くだらないことで笑うこと。
そして、その時間があとから思い出になること。

もしロボットが家事や仕事をたくさん引き受けてくれて、その分、人間がこういう時間を少しでも多く持てるようになるなら、それは悪くない未来だなと思います。

今日はただ、雲を見て遊んでいただけなのに。

気づいたら、子どもの頃の母との時間から、夫との思い出、そして息子が大人になる頃の未来まで考えていました。

雲はすぐ形を変えてしまうけれど、そこから生まれた記憶は、意外と長く残るのかもしれません。

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