こんばんは。

 

前回からの続きものになります。

 

 

広島の厳島神社で、異常な懐かしさを覚えた私。

 

その後、博多にて直感を信じて進んだ先で、平家一門の墓に呼ばれた。

 

当時はよくわかってなくて、なぜに呼ばれたのかなぁーと思ってましたが

 

ここから怒涛のごとく旅が続くので

なんとなく「慰霊の旅」だったのだろうか・・・と感じてます。

私には何の力もなく、手を合わせることだけですが。

 

 

この後、夫から「鹿児島に旅行したい」と誘われました。

私の中で、鹿児島=知覧滝汗

 

なぜならこの時期、とりつかれたかのように特攻隊のことばかり調べていたからです。

なのですぐに鹿児島なら知覧に行く、という図式が出来上がってました。

(ひめゆりの塔も同時期、同様に調べており、のちに沖縄に行くことになる)

 

二つ返事で同意してくれた夫と一緒に

鹿児島旅行では知覧を訪れました。

 

知覧特攻平和会館。

 

第二次世界大戦末期、人類至上類のない作戦で、飛行機もろとも体当たりするという特攻。

その出撃基地があったのが、知覧です。

この方々の遺品や関係資料を展示してあります。

 

この会館に入り、音声ガイド案内があったのでお借りしました。

 

1036柱の隊員の遺影を出撃戦死した月日の順に並べてあります。

目につくのは若い人が多く、当時高校生の息子がいた私は

戦争という名の元に息子を出撃させなければならなかった母の気持ちと重なり、涙なくては見られませんでした。

 

私の祖父はもう亡くなってかなり経ちますが

戦争経験者で、その当時のことは口を閉ざしていました。

 

言葉に表せないほどの悲しみとか憤りとか、色々あったのだろうなと

思い出してました。

 

さて、不思議な話はここから。

知覧の平和会館を後にし、福岡空港から札幌へ帰ろうとした日のことです。

 

空港へ向かう途中で、左目がみるみるうちに腫れ上がってきました。

痛くて痛くて仕方なく、風が当たるだけで辛いので、濡れハンカチで抑えつつ

空港カウンターへ。

 

そこでカウンターの人に「感染症の疑いのある人は、搭乗できません」と言われてしまいました笑い泣き

 

えーーーー今日帰ろうとしたのに・・・

何回かお願いしたのですが、明らかに目が腫れてる状態では反論もできず。

 

結局のところ諦めて、眼科に行くことにしたのです。

 

ガッカリしながら空港を後にし、地下鉄に乗ったら・・・

何と、目の腫れがひいてしまいました滝汗

あんなに腫れてたのに・・・帰るのやめたら、腫れが治まっちゃった。

 

なんなんだーーーーー・・・

一緒にいた夫もびっくりです。

 

とりあえず明日のチケットを取り直し、念のため眼科に行き、薬をもらい

そして今日一日の時間をどうしよう・・・と思ったとき

 

「もしかして寄らなきゃいけない場所あった???」と閃きました。

 

地図を見たら、護国神社が目に入る。

知覧に行ったのだから、護国神社に参拝して行くのは自然の流れかもしれない

いつも目の前を通ってたのに、全く参拝していなかったのだから

行くのは当然だ・・・と思い、向かうことにしました。

 

そして護国神社。その敷地内にありました、特攻の碑が。

全く知らずに行ったのだけど、どうしても気になる一角があり、歩いて行ったらその碑があったのでした。

 

特攻勇士之像。

毎年5月4日の春季例大祭にて慰霊祭を行なっているそうですが

 

私がこちらに訪れた日は5月1日でした。

 

ちなみにこの翌日、無事に飛行機で札幌に帰れましたが

未だに目が腫れた謎がよくわかりません滝汗

 

そして、まだまだ旅は続きます。