3年前の6月。
妊娠41週めに突入した臨月のおなかは大きくふくらみ、ぱんぱんで苦しいくらいだった。
わたしは腸閉塞になりやすく腸管の癒着もあるため帝王切開はできるだけ避けて経膣分娩をするつもりだった。
入院した日のこと。泊まり込みで付き添いたいと申し出てくれた夫に、明日から本格的に付き合ってもらうから今日のところはしっかり寝ておいてねと説得、しぶしぶ家に帰ってもらった。
いよいよ翌朝から始まるよという夜になって突然の違和感が。助産師さんにみてもらうけれど破水でもなく、違和感の原因は謎のまま。しばらく経つと腹痛が始まる。22時過ぎの出来事だった。
まさか陣痛?
3年前のことであり、この後の展開が目まぐるしかったので痛みの程度はあまり覚えてないのだが、再びナースコールを押して、看護師さん(助産師さんだったのかな)に来てもらい、チェックしてもらう。
「本格的な陣痛はこんなもんじゃないから」と脅されたので、そこまでの痛みではなかったのだろう。痛みの感覚を記録するよう言われ、あらかじめ用意していた陣痛アプリを起動し、うつらうつらしつつ病院のベッドで痛むたびに画面をタップして記録をつけはじめた。
このとき浅く眠りかけていたのは眠かったからというより、きっとこの先は長丁場になるから眠れるなら寝て痛みをやり過ごしてしまえ、と考えたからだ。
事前にネットで読み漁った出産経験談からの素人判断。初産だから本当にこれが陣痛なのかもわからない。
1時間ほど経って再び看護師さんが様子を見に来てくれたのでアプリを見せる。痛みの間隔は10分おきだったりもするが、3〜5分間隔が多かった。いま考えると短すぎておかしい。
じわり。何か水が出た感じ。破水?
これもチェックしてもらう。
おなかに機械をあてて赤ちゃんの心拍を確認するが、心拍が探しにくい…心拍がゆっくりすぎる?
さっとわたしの手首に指を当てるが、遅い心拍を刻むのは妊婦のものではない様子。
ここで病室のベッドから出産のための陣痛室に移動した。ベテランと思しき方がもう一度心拍を確認する。とてもゆっくりだ。やはり妊婦であるわたしのものではない。つまり、赤ちゃんの心拍が低下してしまっている。
これは…とザワつき、急ぎ当直の先生を呼ぶ。
先生も確認して危機を察知するや否や、次々に指示が飛んだ。
点滴ルート確保、オペ手配、夫へ緊急連絡。
「急いで!赤ちゃんが死んじゃう!」
先生はなかば叫ぶように言った。
必死だった。
心拍が下がってる、おなかの赤ちゃんが苦しんでる?どういうことだろう。なんでだろう。
わたしにできることは、おなかの赤ちゃんに酸素を届けることだけだ。苦しんでる赤ちゃんに酸素を届けられるのはいまわたししかいないんだ。
気持ちを落ち着けて、丁寧に呼吸する。
ソフロロジーの呼吸法で、赤ちゃんに届けと念じながら、呼吸した。それしかできない。
手術室に運ばれながら、スマホで夫に電話する。
…けれど出ない。寝てる?寝てるのか?
何度か電話してあきらめ、短いLINEを手早く送る。
「いますぐきて」
手術室に運び込まれたわたしは手術台に移乗し、ギリギリまで呼吸に集中した。
あわただしく帝王切開の準備が進む。
夜中の手術室に何人ものスタッフの方がいた。
ブヨブヨした青いマスクを口にあてがわれてガスが流れ込み、急速に意識が遠のいた。
その瞬間、これでもう大丈夫…とホッとしたのを覚えている。実際のところ大丈夫ではなかったのだけれど。
次の記憶は病室のベッドだ。
目が覚めると、どうやら朝方のようで静けさの中、窓の外にうっすら光が感じられた。
ベッドサイドに現れた夫に「赤ちゃんは?」と聞くと、「赤ちゃんは生きてるよ、がんばってる」と言う。夫の目は赤く、どうしたことか泣いた後のようだ。
生きてる、と言われて不思議な気持ちになる。
なにが起こったのかまるで分かってなかったわたしは「生きてるなんてあたりまえでしょ」と思ったのだ。赤ちゃんが生死の境にあったなんて想像もつかなかった。ちょっと苦しかったんだろうな程度にしか思ってなかった。
赤ちゃんがどんな状態でどんな経過を辿るのか、わたしたち夫婦がなにを思いどうやって赤ちゃんを受け止めて愛していくのか、本当に、あの時のわたしはなんにも分かっていなかった。
こんなことが起き得るなんて。
新生児仮死、羊水混濁、アプガースコア、低酸素性虚血性脳症、肺高血圧症。
こういったワードを知ることになるなんて。
青いヘッドギアで温度を下げて脳へのダメージを食い止める
心拍低下の原因を調べてもらったが、不明との結論だった。時期的に常位胎盤早期剥離が疑われるものの早期剥離に見られる胎盤の出血といった所見なし。
出産は人それぞれ、出産は奇跡。
まるで交通事故みたいな不意打ちな出来事で、なつみの人生はこの世に生まれ出る直前にぐいっと方向が変わった。
そんなことがあるのだ。
あの出来事を誰がどう変えられただろう。
果たして察知することは誰かに出来たのだろうか。考えてもしかたない。
3回めの6月14日がきた。
写真のなつみはやわらかな表情で目を閉じている。愛おしさがあふれるこのお顔を写真におさめられたのも、1年3ヶ月のあいだ寄り添って成長を見つめることができたのも、あの日あの晩に、なつみのために尽力してくれた先生や看護師さんたちがいたからだ。
はじめのうちは、入院していたのになぜという気持ちもあった。しかしやがて、入院してなかったら対処に時間がかかって助からなかった、もしかしたら母体の生命も危機だったかもしれない、あのタイミングは幸運だったのだ、と気づいた。
梅雨入り前の晴天に臨月の能天気な自分を思い出し、梅雨入りの曇天になつみが生まれたばかりの頃の混沌とした雰囲気を思い出す。
2017年6月14日、
なつみが生きてくれて本当によかった。
なつみ、生まれてくれてありがとう。
大好きだよ。