2017年になつみが生まれ
2018年になつみが旅立ち
2019年のわたしはずうっと体調不良でした。
2019年も終わりますね。
みなさま、どんな一年でしたか。
嬉しいことも楽しいことも
悲しいことも腹立たしいことも
それなりにありました。
生きていればいろいろありますな。
先日、家族の希望もあって
外科のセカンドオピニオンも受けてきましたが
わたしにとって目新しい情報はなくて、
時間が経つのを待つしかない
時間が経ってもダメならまた来い(意訳)
という感じでした。
えー、、、、。
なつみに関しては、
嬉しいこと楽しいこと心躍ること、
また、悲しいことも悔し泣きすることも。
そのたび、今までのように
ブログやインスタを開いて
書き連ねたりしてたのですが、
途中で手を止めたり、
下書きにしてしまいこんで
表に出すことは控えめにしました。
月の命日ごはんも、
毎月載せるのはインスタのみになってます。
そうなった理由はいくつかあるものの、
ほとんどのものは、体調不良で気力がなく
ただただ時間が過ぎた、です。
そうこうしているうち1年があっという間に。
なつみへの愛おしい気持ちは
昨日も今日も色あせることなく
写真を見るたびに、名前を口にするたびに
心がときめきます。
辛いときも、写真を見るだけで
気持ちをふわっもゆるめられます。
一周忌のとき、
夫は自分のFacebookに投稿しました。
「記憶の中の映像が写真にすり替わる」
本当にそのとおり。
今の心情の的確さに感心してしまいました。
そうなのです。
愛しさはまったく変わらない。
けれど、
心に浮かぶなつみがだんだんと
写真の姿に限定されてきて
イメージが固定されつつあるのです。
すぐそこに感じてた雰囲気がぼやけて
ディティールが失われはじめていることに
気がつきました。
このことを実感するたびに寂しくなり、
せつない空気が胸の中に溜まっていきます。
動画を見返して、なつみの記憶を
掘り起こしたりしますが
些細だけどありのままの日常、
なつみと同じ空間にいた「なんでもない時間」。
ほとんど動画には残ってないので、どんどん記憶の隙間から滑り落ちて消えていきます。
さみしさが胸にあふれてしょうがないので
指の遺灰リングをなでなで、
なつみの写真に向き合って話しかけます。
さみしい。さみしいよ、にゃんつー。
好きだよ、にゃんつー。
一年が過ぎた今でも
なつみへ気持ちを寄せてくださる方がいて
お言葉をいただくたび
感謝の気持ちでいっぱいになります。
ありがとうございます。
本当に、本当に、嬉しいです。
その存在は救いでもあります。
記憶にとどめてくれてありがとうございます。
ありがたいこと、このうえないです。
さぁ、あと少しで新しい年がやってきます。
どうぞ穏やかに健やかに、
あたたかくしてお迎えください。