なつみが息を引き取ってから49日が過ぎた。

7日x7回。あっというまである。

 

特に熱心な仏教徒ではない自分たちなので

四十九日になにかするつもりは

特になかったのだけれど

「ちゃんと一人前の人間として扱ってやれよ」

ある人に言われて、素直に従うことにした。

 

亀の甲より年の劫。

 

わたしが子どもの頃からずっと

家族のようにお世話になってる人である。

決してなつみを半人前に扱うつもりはないが

心配して勧めてくれたことを

断る理由に足るほどの信念があるでもない。

むしろ考えなしであった。

 

それに。

 

先月、ご厚意でお経を唱えてもらったのだが

これが思いのほか、、、、すごくよかった。

 

読経が始まると、すぐに空気が変わった。

厳かで清洌な空気の中でなにかが昇華した。

自然とこうべを垂れ、手を合わせる。

 

「ありがたい」という気持ちが

自然発生的に芽生える、素晴らしい経験をした。

 

宗教の儀式って意味があるんだな

その人にとって必要だからやるんだな

と腑に落ちた。

 

そんな実体験もあり、

それもそうだねと夫婦で納得して

アドバイスに従うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

11月3日。

祝日、土曜日、七五三参り。

朝イチ9時からで予約をさせていただいた。

 

当日は早起きだ、5時半には起きよう!

と寝たものの

夫婦ともに寝起きが悪いので

目覚ましをぴっと止めて再び沈黙・・・。

 

繰り返されるスヌーズを止めては

「起きなくては」と「・・・」を繰り返す。

 

すると

ディロリン!とiPhioneの通知アラートが

二人同時に鳴った。

 

「?」「?」

 

なんだろう。

 

画面を見るとちょうど6時。

家の玄関に設置してるセンサーが

”電池が残り少なくなってます”

と通知を投げていた。

 

「あれ、これ。。。」

「この前電池変えたばっかり」

「だよねぇ。。とりあえず起きよう」

「うん」

 

なつみが起きろー!と

プッシュ通知してくれたのかな。

すごいタイミングだ。

 

 

 

雲ひとつない、

深く青く澄んだ秋の空、

凛と澄んだ朝の空気が気持ち良い。

 

空気はひんやりしているけれど

秋の太陽が肩やおでこに降り注ぎ

あたたかくしてくれる。




 

手を洗い口を清めて進むと

お堂の屋根にたくさんの鳩がいた。

 



ぽーぽー。


いつもは鳩の姿ってここで見ないけれど。


ぽーぽー。


朝早いからかな?たくさんの鳩がいた。


 

めっっっちゃいる。





にゃんつーきたぽー。


にゃんつーきたよぽー。



 鳩さん、にゃんつーきたよー。






 

気さくな御坊さんに導かれて奥へ進む。

法要がはじまった。

 

びんびんと堂内に声が反響する。

声が天井にぶつかり跳ね返る。

力を持った発声に畏敬の念を抱く。

 

人の訪れも少ない時間帯で、

落ち着いて臨めてよかった。

 

 

毎月恒例、

11月のおみくじもひく。

 



ふたりそろって「吉」。

よかった、大吉じゃなくて。笑

でも、吉にしては内容がすごくよかったので

神様にも応援してもらえてるのかな。

 

だといいな。

 

 

 

 

法要は週末にあわせて行ったので

49日めは平日だった。

 

仕事を終わらせて、帰りの電車で

お子様ランチのレシピを探す。

 

ふんふん。なるほど!

エビフライなんて揚げたことないぞ!

ちょびっとのパスタ茹でるのめんどくさいな!

 


というわけで、できる範囲で。


お名前は型抜き。

柿で抜いたら色が微妙だったよ…。



なつみのプチオムレツが長細くて

バナナくんになったけどまぁよし。

3人分のお子様ランチで晩ごはん。

 

「にゃんつー!できたよ!」

 

おいしいかな、食べれてるかな。

食後にテーブルでなつみのお話をする。


義姉が贈ってくれた

ヨシタケさんの絵本を読み聞かせする。

 



読み聞かせってしたことないからさ、

ちょっと照れるのよ母は。

これでいいのかな。

 


本を置き、遺影のまえで床に寝そべって

なつみをぼけーっと眺める。

とろりと眠気が訪れてまぶたを下げる。

 

 

 

 

 

 

ゴトッ。

 

棚から音がした。

寝落ちしそうだった私は目を開けた。

 

「?」

 
 
 
 
 
 
 
 
ゴトッ。
 
再び同じ棚から音がした。

ソファで寝落ちしそうだった夫も

頭を起こした。
 
「なんだろう」「なんだろね」
 
ふたりで顔を見合わせる。
とくに何かが倒れたのではなさそう。
なんだろうね?
 
 
「寝ようか」
「風邪ひかないようにな」
「じつは昨日から喉も頭も痛い」
「まじか」





 
翌朝、わたしは38度の熱が出て仕事を休んだ。
さらに翌日、まだ熱は下がらずまた休んだ。
 
あれ以来、
生理リズムも大幅に崩れてて
体のバランスがガッタガタになのを
ひしひしと感じる。
 
自分の人生は自分でしか責任が取れない。
職場に迷惑をかけてしまう部分はあるけれど
無理せず休ませてもらった。
 
私の人生、これからどうしようかな。
目標が見当たらない。
先を考えるのが面倒で生きるのが面倒で
朝起きるべき理由がわからない。
 
すべき理屈はわかるんだけど、
そういうことじゃなくて
心が前に向かっていないんだと思う。
 
正直にそう言ったら
夫は心底悲しそうな顔をした。
ごめん。
 
 
 
 
なつみはまだ空に向かわなくていいよ
ってそう思うからなのか、
四十九日の法要はすごく晴れていたのに
その翌日から雲がかかりはじめ
四十九日めは分厚い雲が空を覆っていた。
 
火葬の日も、少しだけ晴れ間はのぞいたけど
だいたい雲が空を埋め尽くしていたっけね。
 



空に上がるの、まだいいよ。
ここにいてよ。姿を見たいよ。
 
みんなの夢にこんにちはしてるみたいだけど
わたしたちのところはまだなのかな。
なつみの姿をみたい。肌に触れたい。
プーとかグーとか寝息たててよ。
まだいやだよ。やだよ。失いたくないよ。
 
 
 




四十九日の翌朝、絵など描かない夫が
不思議な、でも心温まる絵をメモに描いてた。

そこには花になぞらえて、
なつみが生まれる前の期待から
生後すぐの戸惑い、
その後の慈しみ育てる愛、
逝去の悲しみ、
そして今の状態、が
ペン画で描きあらわされていた。

今の状態はここ、
にゃんつーに包まれてるからね
だから大丈夫なんだよ

そう説明してくれた。
朝起きてふとイメージが浮かんだのだそう。

なんという優しい人なんだろう。


でもそんな夫もそのあとで再び、
テーブルに手をついて涙していた。



だよね。
そうだよね。