なつみに会う。

なつみの顔を見つめる。

ずっと見つめる。



わたしはいったい、

誰と向かい合ってるんだろう

と不思議な気分になる。










生まれて2ヶ月か、もっと前か、、、不思議な気分になることが度々あった。


凝視するわたしの視線の先にいるのは、まぎれもなく赤ちゃんであり、なつみであるのだけど、じっと見ているとよくわからなくなってくるのだ。


もちろん、見かけはなつみだ。生後まもない女の子だ。ちょっと呼吸が苦手なものだから口から挿管されてるし、呼吸器の設定でぶるぶる振動が体を揺らしていたりするけれど、これは私たちの愛しい娘、なつみで間違いない。


でも、だけど。


なつみの顔をじぃっと見ていると、赤ちゃんを見ている感覚がなくて、どこかの誰か、大人の誰かと向き合ってるような気持ちがした。外身と中身のズレのようなものがあるような雰囲気がした。




確立されたひとりの人格、それもわたしの知らない誰か大人の人格がそこにあるように感じた。

 


これは、誰なの。

着ぐるみみたいに内側にいるのは誰。

そんなことを感じていた。

 













 

そのうち、なつみの内側にある知らない誰かはなつみと馴染むようにしっくりきて、今やわたしがよく知るなつみになった。






いまはもう外側も内側もまるごとまるっきり、なつみそのもので、外と中のズレのようなものはとくに見当たらない。



生まれた頃に感じてた内側の誰かは、時間をかけてなつみとなったのか、誰かは消えて代わりになつみが台頭してきたのか。


わからないけども。



わからないというか、自分でも何言ってるんだろうと思うけれど、でも、そう感じてた。












もしかすると本当に、

体って魂の「容れ物」なのかもしれない。



魂があるとすればだけど。