Facebookは
出産を機に遠ざかってしまった。
 
 
 
向こう側とこちら側。
 
 
 
 
線を引いたのはわたしだ。
 
 
 
 
 
 
出産直前まで、ちょいちょい投稿していたSNSだけれど、出産をきっかけに、できなくなってしまった。
 
タイムラインにつらつらと流れていく以前と変わらぬみんなの投稿群は、わたしがいま見ている光景と大きな隔たりがあった。わたしの眼に映る景色はそれとは異質で、到底ここに投稿することなどできない、と感じた。
 
この出来事をどう投稿したらいいのか皆目見当がつかなかったのだ。
 
 
仕事がらみの投稿にまぎれて、なつみについての投稿が混ざる。想像するだけで違和感があった。おそらく、ほとんどの人が目にしたことがない子どもの姿であり、子どもの話だ。
 
ほかの方々によるプライベート投稿…夏の旅行や週末BBQのリア系、家族イベントやら子どもの屈託ない笑顔などに混ざるのも、違和感があった。
 
 
少なくとも、最初の頃のわたしの衝撃はそのくらい大きかったということだろう。別の惑星の話かのように遠く感じたのだ。
 
過去の自分のタイムラインに今の自分やなつみが合流して混ざり合うことが、もはや不自然な感じすらする。
人生観どころか生命への考え方すら変わった、この一年。

 
 
 
 
だから線を引いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
わたしは向き合わなくちゃならない自分の中で抱えた問題があり、余裕みたいなものは持ち合わせてなかったので、まわりの人の出来事を読む余裕もなかった。気が重くて文字を追うことも面倒になり(どうでもよさMAX)、いったんすべて断ち切ろうとしてアプリごと立ち上げないようにしたら、とたんにとてもラクになった。
 
 
 
SNSこわい。すごい。
 
 
 
やれやれだ。
隣の芝は青くみえるよね。
 
 
 
心の風邪をひいて休職した知人が
心療内科の先生にSNS断ちをすすめられたよ
と言っていたのを思い出した。
 
なるほど、なっとく。
 
 
 
 
インスタもfacebookと同じような感じで、タイムラインを見るのがキツくなった。もともと使ってたアカウントになつみのことを出すのは、なんだか気が引けた。
 
 
誰も自分たちのことなんて気にしていないのにね。
世間…知人たちの目を過剰に意識して怯えて、避けたくなった。
 
 
 
 
どう思われるんだろうという怯えとともに、胸に渦巻く灰色のグルグルがあった。このことを知った知人友人から、悲しそうな気遣わしげな素ぶりなんてされたくない…という気持ち。生後半年くらいの頃、暗澹たる願いを強烈な強さでグルグルと抱えていた。
 
うっかり同情なんてされたくない。
繰り返し、繰り返し、そう考えてた。
 
周りから距離をとっていた。
周りをまるっと拒む気持ちがあった。
 
 
そうやって何かに対抗するくらいに強く心を持たないと、折れそうでもあった。
怖かったのだ。
 
 
こんなふうに考えてしまうのを止められない以上、わたしの気が済むまで、気持ちが落ち着くまで、既存SNSのネットワークとは一線を引こう、と早々に決めた。
 
線を引いて残るものがなくても、それはそのときだ。もし残るものがあれば大切にしよう。
 
 
 
 
 
 
 
なつみのことは新しいアカウントで語るようになり、いま一年が過ぎた。
 
なつみのことだけを綴るブログとインスタのおかげでわたしはとてもラクになった。
 
 
 
 
専用アカウントって、ラクだ。
 
 
 
 
いまこうして読んでくださってる方々は、99%以上がなつみが産まれる前のわたしたちを知らない方、なつみありきで繋がった縁だ。
 
すべて、なつみあっての縁。
 
まっさらなスタートはしがらみがなく、スッキリサッパリしていて良い。新しいスタートを切る決断は間違ってなかった。
 
ゼロ出発は、18歳で大学進学のために上京したことを思い出させる。あのときの気持ちに似てる。人間関係の断捨離と再構築。
 
ブログやInstagramを見る方からどう思われるのか?という見栄や照れは驚くほど存在しなくて、素のわたしの声を綴れている。
 
 
 
 
 
 
一年経ち、
既存のアカウントものぞけるようになった。
 
誰かの他愛ない投稿に
コメントもできるくらいまでになった。
 
 
出産報告や子どもに関するトピックはまだキツいものがあるけれど。
心をわしづかみにされるような苦しみに陥る前に、すいっと指で流せるようになった。
 
 
 
 

すいっ。
 
 
 
 
 
 
わたしはなつみをきっかけにこうなった。
 
だけど、SNSへの苦い想いがあるひとは
それなりにいるんだろうな、と
ほかのひとのパターンについて考える。
 
 
例えば不妊で悩んでたら、
赤ちゃんの話も
妊娠の話も見るのは厳しかろう。
 
または、婚活について
悩んでたりもするかもしれない。
 
仕事で伸び悩んだりして
他人のキラキラが辛いかもしれない。
 
 
はたまた我が子の悩みは尽きず、
習い事、発達、勉強、、、。
 
隣の芝がそれはそれは、
いちいち青くみえてしまうことも
目がくらむほど、あるだろう。
 
夫のことでイライラすることもあるかもしれない。
独身の友人の自由さが、パリピが、
セレブなイベントが、内定通知が
羨ましかったりするかもしれない。
 
 
 
そこまで想像を広げてみたら、
まぁそうよね、そういうもんよね、と
みんなあるよね、とやけに冷静になれた。
(↑辛いときにおすすめです)
 
 
想像を広げられるようになるまで
1年くらいかかったけれど。
 
 
苦しかったりなんだり、
そんなこんなの複雑な想いを抱えて
ブログにインスタに投稿を重ねてしまうのは
そのときの自分の気持ちを
そのときの手触りを
記録にとどめておきたいからだ。
 
胸の内をアウトプットせずにいられない
この感じは、産前から結局いっしょ。
 
SNS好きなんだな。
 
 
 
なつみ、もしくはにゃんつーの投稿を見て
頰を緩めてくれる方がいたり、
はっと思うところがあったり、するようで
コメントをいただけるようになった。
 
SNSを通じて誰かをなごませている
このことは、この世の隅っこで生息している
わたしにとって、予想外のボーナスだった。
 
王様の耳はロバの耳、って誰も聞いてないわー!うぉー!
 
っていう無人の叫びからのスタートで
こうして見てくれる方がいる、
なつみの姿を優しく受け止めてくれる
優しさがある。
 
こんなの、
ボーナス以外の何ものでもない。
ありがとうございます。
 
 
 
わたしは、わたしのペースで
これからも続けていこうと思います。