およそ1か月前の金曜日、

わたしは断乳をはじめました。

もっと続けてもよかったけれど、

思うところあり、えいやっ!と止めました。

夫がおパリ旅行に出かけたのを機に

えいやっ!とね。



なつみは病院、夫は旅行。

わたしひとりで断乳決行。

断乳イベント、一人占め。


ふふふふふ。





病院の外の母。マスクがない。
このときは、あとで飲むビールのことを考えてました。




母乳がたまって、

ぱんっぱんに硬い断乳おっぱいは、

気合いと根性で乗り超えた搾乳生活を

証明してくれてるような気がして誇らしく、

どうだ!と主張してるかのよう。



わたしの気持ち的にも物理的にも、

おおきく、おおきく

断乳パイが堂々と胸を張ります。


「これが噂の・・ごくり」

24時間経過してガッチガチになった

おっぱいを撫でては

でこぼこを指先で感じ取ってみたり

 

「熱はでてないな・・・うんうん」

身体の変化を探ってソワソワしたり、

断乳はじめの時間をひとりじっくり

味わって過ごしてました。





 

断乳するにしても

我が子が手元にいないぶん、

おそらく普通よりも

気持ちの余裕がありました。

 

断ったところで

子に泣かれたりもしないし。

 

 




 





 

・・・・うん、でもさ、

泣いてもいいんだよ、なつみ?

 

 

 

 



 

辛い日も痛い日も虚しい日も

白目むく日もあったけれど、


全部ぜーーーーんぶひっくるめて、
一人前のお母さんぶりたかったわたしの
大切な、大切な思い出いっぱいの搾乳days。




NICU/GCUの授乳室で壁に向かって

肩を並べてた搾乳ママたち(交流ゼロ)は

わたしの心の中で(勝手に)戦友です。




断乳したいま、もうわたしが

あの授乳室に入る理由はなくなりました。


授乳室の横を通るたびにさみしくなります。




その後も

戦友の姿をロッカーで見るたび、


彼女たちが握りしめる

搾乳グッズをつめたバッグを見るたび、


切ない気持ちと応援したい気持ちで

ぺそっとしぼんだ胸が騒ぎます。





 

通りすがりに

あの部屋から微かにもれ聞こえてくる

オルゴールの音色に気づくたび、

いまでも気になってしまいます。




テニスの壁打ち練習みたいに黙々と

誰かが搾乳してるのかな

それとも
誰かがおいしいおっぱいを

赤ちゃんにあげてるのかな







 

あの部屋は当時のわたしにとって

数少ない居場所のひとつでした。



病院とスーパーくらいしか

行き先のないわたしが行ける場所、


育児をせず無目的な時間を抱えるわたしが

目的を持って居られる数少ない場所。

 

 

想いがつまって、つまって、

つまりまくった場所。



壁の白い汚れはだれかの母乳が飛んだ跡。

ずらり並んだメデラの黄色い搾乳機たち。

再生途中で音飛びするCDデッキ。

搾乳のポスター、ピンクのカーテン。


 

悲しかったり切なかったり心細かったり、

時には泣きながらおっぱいを搾った日々。

 

乳頭がこすれて痛かったり、

搾乳圧が辛かったり

歯を食いしばって耐えた日々。



 
ボトルにためる母乳量に一喜一憂したり、

延々一時間かけてたった70ccを搾ったり、

マインドフルネス状態で心が癒されたり、


書ききれないほどの思い出が

あの部屋にはあります。




たくさんの母たちの

不安と希望と必死さと愛が

この場所で繰り返されてるのかとおもうと

感慨深いものがあります。


 

搾乳室、お世話になりました。

きっと一生忘れない。