昨年、ちょうど1年前の記事。 
え?たった1年前の私、こんなだったの?
って思うくらい、
私、随分変化しているんだなと思ってリブログします。

母の最期の時の傷(PTSD)ですね。
この時、母が亡くなって1年半経ってるんだけど、
まだまだとても受け入れる気にならなかったんだと思う。
母が不幸だとか、可哀想だとか、
その責任は私にあって
私は罪深いとんでもない娘だったと思って
苦しかったんだなぁ。

で、1年経過した今は
全くありません、罪悪感。
笑えるくらい、ありません、
母に対する罪悪感、無し(*´ω`*)

凄いなぁ、私。
そこまで回復したんだと思うと
感慨深い。

今は
あの母は母なりに
幸せな人だったと思う。
そして、それほど長く苦しまずに
あの世へ行って
しかも父をすぐに連れていったんだから
もう、
絶対にこの世へ思い残した事なんて無いほど、
母は自分の道を生きたと思う。

今の私は
反復性うつ病は治っていないし
この先も治癒するとはとても思えない。
引きこもり状態は変わらず続いているけど
でも引きこもりに関しては
外に行く気力があまり無いだけで、
就業出来る気はしないけど
どう違うの?専業主婦と…とも思うほど。
必要な買い物はするし、
気が向いた時には、気に入った布を買ってバッグを作ったりも出来る(つまり趣味)。
人を特別避けている訳でもなし、ブログでコメント拒否してる訳でもなし、
とりあえず苦しい状態では無い。

何より
去年とは自分への評価がまるで違う。
私は今、ものすごく自分をプラス評価しているし
自分の事を責める様な思考は持っていない。
ネガティブな感情も含めて、そのまんまの自分を認めていると思う。

ただ、やっぱ時々、
愛着障害だけあって
養育者から存在許可が貰えてない者としての
生きるという意味での根本的なベース(基本的信頼感)は補充出来てはいないので
そちら側に引っ張られて落ちることはあるのは否めないけど。

それでも随分変わったと思う。
今が一番気楽で
私らしく生きてるんじゃないかと思う。


今朝、
今年の1月の記事にコメントをしてくださった方がいて、
久しぶりにその記事を読んだ。
まだ自分を愛着障害であったことをハッキリと自覚していない頃の記事だった。 
その頃とは随分変わったよなぁと思い、
もう少し遡って、
去年の今頃の記事を読んだら
今の私が、
あの頃をと比べると
どんなに幸せなのかと感じたので
ちょっと書いてみました。

「愛着障害の回復」についても
最近、どんどんどっちでもよくなってきてる気がしています笑
だって、
どんな自分でも自分なのだから♡

今、かなり私は自分が好き💖( ´艸`)ムフフ

何故こんなにも前と違うのか?
それは私の自己理解が進んだから。
それに尽きると思います。
カウンセリングメソッド、
勉強して良かったと思います。


読んでくれて
ありがとう♡