受験の経験がある最近の高校生の多くが目にしたことがある、wakatte.tv。

 

 進行役の2人が大学の前などで学生にインタビューなどをし、少しディスったりするYouTubeである。

 以前は、少し目に余るディスり方もあったが、最近は少し大人しい。

 

 この前、龍谷大学前での回の際に、この大学に所属する教員からクレームが入り、炎上した。

 

 社会人でバリバリと働いている人は分かっていると思うが、学歴が無意味かと言えばそうではないし、万能かと言えばそうではない。

 この自分の主張をした大学の教員も、学会の中で東大や旧帝大などの高学歴の研究者が幅を利かせているのは分かっているはずであるし、社会に入れば努力の量などはほとんど評価されないが、努力の量は結果を生む確率が高いのは分かっているのである。

 

 極端な話、営業マンでまともに努力していないが、年間で5億円売る社員と努力は人一倍していても100万円しか売らなかった社員、どちらを会社として評価するかと言えば、5億売る社員であって、100万円しか売らなかったら、どんなに努力していてもクビを言うだろう。

 

 龍谷大学は仏教系の学問を学ぶ大学らしく、仏教系の学問を志す人口が少ないので大学の偏差値では評価しがたいが、総じて企業がなぜ学歴フィルターを使ってきたかと言えば、努力の結果、どれだけの偏差値が出せたか、ある意味、偏差値は努力の相対的な大きさを測ることができると思うからである。

 

 企業は利潤を追求しなければいけない。

 そういった意味では、努力をして利潤あげる社員が欲しい。

 学生時代の努力の大きさを測る尺度が偏差値で、分かりやすいので結果として、学歴フィルターを多くの会社で使ってしまっているのである。

 

 最近、公然と学歴フィルターは導入していないが、入社試験の際に計算をさせる企業がジワジワ増えている。

 数Ⅰだけしか大学入試で使わないような大学を排除するのが目的であるらしいが、ある意味、学歴フィルターではないかと思う。

 

 大学そのものを誹謗中傷するのは良くないが、学歴そのものは、社会で勤めていれば必然的に一生ついて回るし、プレゼン資料でも、引用文献の記載が無かったりすると、飲んだりした際、「やはり高卒ってあのレベルか」と、みんなが思っていたことが本音で話題になる。

 

 最近の小学校は、運動会の50m走などで、事前にタイムを調べ、同じようなタイムの子たちと一緒に走らせ、明確な優劣が見えないようにしている学校があるらしい。

 

 学校という守られた社会の中で一生暮らせるならそれでいいが、社会はそうではない、退職するまで社員同士が能力の差など考慮されず、同じ土俵で競争させられるのである。

 

 wakatte.tvが発した龍谷大学の教員の意見に対するコメントが、「俺たちが龍谷大を広めてやって何が悪い」のようなスタンスでコメントしているが、今までwakatte.tvを見てきた感覚からすれば、明らかにわざとだしたコメントで、カウント稼ぎ的な意図も含まれている気がするのである。

 

 また、東大出身の脳科学者もwakatte.tvの2人を批判しているが、この学者、過去に国税局から億単位の無申告を指摘され、億単位の追徴を受けており、国民の義務である「納税」を怠ったようである。

 そんな人が、人の道を説くような事が言えるのかなと少し疑問を感じてしまう。

 億単位の申告漏れ、それも無申告であった点、全く許される話ではない。

 

 法の世界では、誰しもが平等であり、権威者であっても裁かれるときは裁かれるのであり、言い訳は通用しないのである。 

 

 個人的には、資本主義社会の中で生きているので、儲ける面を考えれば手段の倫理性は別として、今回はwakatte.tvの2人の方が一枚上手だったと思う。

 

 取材中の「食レポ」が必要かは分からない場面でも、食レポをしていることがあるが、少なくとも昼食は経費で落ちる。

 もっと言えば、編集でカットした食レポも経費で落ちるのではと思う。

 

 そして、wakatte.tvの2人、日本全国の大学に行っているので、儲けも相当あるとは思われるが、納税でのトラブルは聞かない。 

 

 この2人、税理士や弁護士などが付いているのだろうなと感じる場面が何度もある。

 また、この2人以外にしっかりとしたプロデューサーがいるような気がする。

 ちょっとした炎上も儲けにつなげる、計算してのことだろうなと感じる。

 

 社会では、どんどん学歴や能力の格差が広がており、合理的なサイレント学歴フィルターが広がり、どこの大学の教員がどう言おうと、学歴社会は進行すると思うし、日本は資本主義の社会、学歴で選別して利潤につながるなら、学歴で選別もしていくのが企業である。

 

 今日も稼ぐために仕事に行くのだが、結局は、給料をもらわねばならず、資本主義のなかでは、きれいごとでは食べてはいけないのである。

 学歴、社会人になっている今は、相対を評価するには良いツールであると思っている。