この前、BCP作成の講演会に参加してきた。

 大規模な地震があったときなど、災害時にどう、業務を継続するかの計画である。

 

 今回の講師は、元自衛隊員で、いわゆる士官だった方だったらしい。

 

 もう、辞めているのだが、通常任官できる最上位の大佐級の一佐だと、年収はと言えば、1000万円ほどで、だいたい防衛大卒なので、防衛大まで出て、大佐で年収1000万円とは、何とも夢が無い話である。

 

 防衛大は英語、数学、国語、小論文で受験ができ、理系でのレベル感でみると、MARCHの下位と同程度である。

 ちなみに、アメリカは為替での伸び縮みがあるが、給料は倍近くもらっているようである。

 

 戦前、防衛大は士官学校と言われ、帝大より難関だった時代もあったらしい。

 このため、今の貨幣価値にして、大佐クラスは外地勤務だと月給200万円~300万円ほどだったらしい。

 

 年収で行けば、確かに戦前は帝大クラスの学生が士官学校を目指すのは何となく理解できる。

 

 ところで、この元自衛隊員の方、脳まで筋肉でできているのではと思うほど、自分たちには難解で、響かない内容だった。

 いわゆる「脳筋」である。

 

 脳筋とは、「考えるよりも先に体を動かす性格や行動」そんな意味らしい。

 10年、20年後の展望をもって計画は作成しないといけないし、1つの目的、1つの目標、1つの手段をして整理する必要があると言っていた。

 

 そして、抽象的目的から具体的手段に展開していく、戦略をもって立て戦術を実行していくのである。そんな話だったと思うのである。

 正直、飽きてきたので、詳細は覚えていないが、「ザ・軍人」って発想で、大声で力説していたが、内容は同じ事を何度も繰り返しており、要約すると前記のようであった。

 何が脳筋かと言えば、自衛隊で学んだことを、もう一度学びなおし、民間レベルに落としたり変化させておらず、防大での授業じゃないんだからと思った。

 

 1つの企業ごときで、BCPに戦術も戦略もない。

 地震なら、電車が止まれば誰も出勤してこないし、社会全体が機能ストップしているので、動けるようになるまで待つしかないが、それをいち早く再開するために立てるのがBCPではないかと思う。

 阪神淡路大震災の時は、徒歩で出勤して会社で寝泊まりして業務継続をした会社があったらしいが、今の社会の風潮、そこまでする必要はないと感じている。

 

 今の時代、ヘリで人員輸送してまで業務再開の必要があるかと言えば、まぁ、そんなのは警察や消防、自衛隊ぐらで、霞が関の役人もそこまではしないだろう。

 軍事組織は、ヘリで人員輸送もできるし、何なら橋が崩落しても橋を架ける車両もある。

 災害時でも自己完結できるし、戦場ではそれができないと作戦展開できない。

 でも、民間人にはその必要はないし、そんな事もできない。

 

 我々は民間人、あくまでも想定を積み上げ、シミュレーションをして、可能な範囲でBCPなどは立てなければいけないし、現場で何かするだけでなく、自宅のPCを使って業務を継続したり、支社に機能を移すこともできる。

 また、地震の場合は、社内の片づけや周辺の方との協力もあるだろうが、できる範囲での作業であり、軍事組織のように命をかけてまで完遂する概念はない。

 

 そして、何となく、日本が戦争に負けた原因が何となくここにあるのだろうなと、変に考えてしまった。

 

 軍人と国民との意識や能力のギャップ。

 さらに、元自衛隊員の作戦や戦術展開の話の際に、柔軟性を感じることができず、日本人的な計画を立てればその通りに実行しなければいけない。

 そんな姿勢が見え隠れしたのである。

 

 ダメ押しだったのは、その元自衛隊員に限ってと思いたいが、「教えてやる」とか「俺はお前たちより知識があるし、偉かった」と言った態度が見え隠れしていた。

 

 当然、今は自衛隊員でもないし、1人の民間人。その妙な傲慢さは何だろうと思った。

 目的や目標はあくまでも、どこに向かって歩こうかとしてるかを周囲と共有するだけで、事情が変われば変更していいと思う。

 

 何となく、アメリカ人は、軍人や退役軍人をリスペクトしているが、日本人は自衛隊として災害時の活動に敬意はあっても、個々の隊員が街中にいてもリスペクトしていない。

 うまく表現はできないが、リスペクトの差が、同じ軍事組織でも人材や思考の育成体制の差になっているのかもしれない。

 

 この上から目線の元自衛隊員、この個人の問題であって欲しい。

 次は、消防や警察の話を聞いてみたい。