自分は、仕事の性質上、経歴を書かねばいけない時がある。

 〇〇大学大学院修了 〇〇修士

 専門分野 〇〇〇

 保有資格 〇〇、〇〇〇

 

 など、少し自分の事を書かねばいけない。

 ところがである、高卒でも専門家並みに詳しい社員もいるのだが、他の社員が経歴を書くのを非常に嫌がる人が意外にいるのである。

 確かに、一緒に書きたくないのは分からないではないが、でも、それは事実であり、医師、弁護士、建築士、公認会計士など、資格が明確にあればいいのだが、資格がない場合、それまでの自分の手掛けた業績や経歴を書き、どの程度できるかを示さなければいけない。

 

 システム運用者の採用面接をしていて「仕事は何でもできます」と主張する高卒と、「〇〇大学大学院システム工学研究科修了 専門分野は統合型のシステム運用」と面接カードの経歴に記載した人が来た場合、ほとんどの人は後者を取ると思うのである。

 

 結局は、仕事とは、どんな仕事でも何かを受注する必要があり、それは、他人があってのことである。

 社会に出れば比較的短時間で契約交渉をせねばいけない。

 

 専門分野の大学院を出ている人と高卒とが来れば、瞬時の判断では、やはり大学院修了者に任せたくなるのが心情であり、いくらPRしても、無理に専門分野があやしい高卒を選択するリスクは普通はとらない。

 

 そんな事を踏まえて、経歴などを出す機会があるのではと思うが、当然ながら高卒は嫌がるのである。

 結局は、学歴なんて、その人を瞬時に評価するときに使う道具であり、初対面の人に学歴を示して自分に有利に物事を運ぶためのツールではないかと思う。

 

 やはり、社会に出れば武器として使わなければいけない場面に出くわす。

 そういえば、この前会った医師の経歴をみたら、しっかり卒業大学に「東京大学」と書かれていた。

 そして、さりげなく、1975年生まれ 1999年卒業など現役合格、ストレート卒業が推定できる書き方になっていた。

 

 自分は努力の一つの証であり、それで良いのではと思う。

 自分のような凡人からすれば、理Ⅲに現役合格、ストレート卒業、すごいと思うしそれを書いて自分を信じて医療を受けに来てくれるなら、それで良いのではと思う。

 

 もし、高卒で引け目を感じるなら、今からでも大学に行けば良いと思う。

 結局、学歴を軽んじるのは何となく、学歴がない人が多い感じがする。

 学歴なんて、所詮学歴と片付けようとする傾向があるのではと感じている。

 

 さすがに、東京理科大でシステムを学んだ人と都立大で同じくシステムを学んだ人なら、社会人になればそれほど差はないと感じるが、さすがに旧帝大と日東駒専ぐらいまで差が付くと、話しぶりなどから実力がどの程度か、値踏みはしてしまう。

 

 学歴とはと、社会で生きてきての解釈は、努力の証であり、努力することができるかの評価の尺度ではないかと思うのである。

 大学院修了ぐらいになると、専門分野がしっかりしていて、なかなか話していて面白いこと、自分が気づいていない事を知ることが多い気がする。

 東大の某先生が学問で、性別、人種、年齢、この3つの壁は不要であると言っていた。

 常に学びなのではないかと思うのである。