昔は、子宝と言われ、子供がいることは宝と考えられてきた。

 

 しかし、うちの親戚にも1人いるのだが、高校を出て会社勤めを始めたものの半年で精神疾患と言うことで休職し、その後退職して、いわゆるニートをもう3年ほどしている子供がいる。

 

 高校はと言えば、地元でもそこそこの進学校で、就職するのは1割もいない感じだった。

 地方の高校なので就職する人は少しは進学校でもいるのだが、なぜ、進学しなかったのかがよく分からない。

 

 精神疾患ということで、診断名は適応障害と発達障害らしい。

 診断名が付き、原因が分かって、家族は安心かもしれないが、30年後、40年後に待ち受ける子供の人生を考えると、自分は良いとは思わない。

 

 多くの場合は、親は子供より早くこの世から消える。

 50歳で1人になって、誰が助けてくれるのだろうか。

 

 兄弟がいたとしても、それぞれの家庭があったりすれば、まずは関わろうとはしなくなる。

 正直、適応障害だろうが発達障害だろうが、どんな病名を付けてもらって生活保護などで生きて行けても決して楽しい生活が待っている訳ではない。

 

 そして、親が年金暮らしになってきたとき、1人働かない家族を扶養しなければいけない、ものすごい経済的な負担にもなる。

 個人的には、少し無理をしてもどんな病名が付こうとも、働かないと50歳になったとき、かなり悲劇的な状態になっているのではと見えてくる。

 

 正直なところ、医師は「適応障害ですね」と診断して、精神障害2級で手当てをもらうところまで持っていけば、家族は「面倒見が良い、良い医者だ」となるだろうが、この子の30年後まで見据えて、できれば就職など、親がいなくなっても自分で生きていける形にまでコーディネートを考えたのだろうか。

 

 こんな形で、その場は丸く収まったように見えるが、結局は「税金」で面倒を見ることになる。

 最近、老後は出国しようかと考えている。

 

 税金を支払うのがバカバカしいからである。

 極論すれば、医師の診断だけで、多くの税金を投じる。その源は、我々の税金である。

 かなりガバガバな気がするので、元気なうちは外国に出て行き、医療費がかかるようになった頃に舞い戻る。

 

 そんな感じが良いのではと最近まじめに思っている。

 

 子供が生まれた時、小学校や中学校に進学した時、成長して就職し、結婚をして独り立ちするのを思い描いたのではないかと思うが、目の前の「診断名がついた」という自分の安心に飲み込まれてないかと思う。

 

 自分は多少負荷がかかっても、50歳、60歳になったとき、楽しいと思える子供の未来を描いて親は導くべきではと思う。

 この親戚の子、傍から見ていて、正直、老後のリスク以外の何物でもない気がする。

 

 そういえば、うちの会社に70歳近くになっても掃除のアルバイトで来ている人がいる。

 現役の頃は、どこかの会社の秘書室長をしていたらしい。

 

 うわさでは、子供が中高一貫校で大学まで行ったものの、ニートで収入を確保しないといけないようである。

 親戚の家族、何となく20年後、親が仕事を止められないのではと、何となく重ね合わせてみてしまう。