今日は、少し大きな風呂敷を広げて話をしたい。

 

上の子は、中学生2年生頃から爆発的に勉強に対する吸収力が増え、加速度的に勉強ができるようになり、高校は最上位クラスのレベルの高校に通っている。

 

中大高、明大中野、法大高などを蹴って、中には日吉にある慶応附属を蹴って来た子もいる。

なぜ、そのレベルの高校に行けたのか、そして、3年間レベルを維持し、先日、都内の国立大学に進学が決まったのだが、なぜ、それが達成できたのか。

今日はそのことを書きたい。

 

ズバリ「勉強しなさい」と言わなかったことである。

 

今日は「物理をやりなさい」、「今日の塾では数学ⅡBの分からないところを教えてもらってきなさい」と、たまに要所要所で何をすべきかのアドバイスはしたが、漠然と「勉強しなさい」とは言ってこなかった。

 

〇〇を教えてもらいなさいという時も、苦手なものばかりでなく、たまに得意な科目を入れながら、試験が近づけば試験で前回悪かった科目などを具体的に示して話をしていた。

 

また、塾に丸投げなどもしてこなかった。

 

逆を言えば、進路指導は親が責任をもってやってきたし、親以上に身近で進路指導を的確にできる存在はいないと思っていたのである。

でも、自分自身は教職免許はあるものの、教師でもないし、教えることのプロではない。

 

まして、受験指導は上の子の時が初めてで、手探りの連続だった。

 

英検なども高校2年生だった1年前に慌てて申込み、全く重要視はしていなかったし、2級も何度か受ければ合格するだろう。とこのレベルで受けさせていた。

常に、ネット情報を頼りにしていたのである。

 

正直、自分自身の家は、今で言えば虐待傾向にあり、外の倉庫に10時ぐらい閉じ込められたり、もちろん叩かれたりもした。

まぁ、教師が生徒を叩くのは当たり前の時代だったので、叩かれることを当時は、それをもって「虐待」と言う時代でもなかった。

 

ただ、自分自身の経験から、感情に任せた教育は何も生まないと思い、いつも説明をしながら、2~3週間後の目標、半年後の目標、その目標をクリアすると最終的な到達できる位置を示して話をしていた。

別に勉強を教える学力が親にあるわけではなく、常に子供には納得してもらった上で勉強には取り組んでもらっていたのである。

 

ただ、全く上の子に手を挙げたことがないかと言えば、1回だけある。

それは、そのうち書こうとは思うが、他人をおびやかす罪に問われる行動をした時は、その場にいたので手が出てしまった。

 

意味を理解せず強制されても子供は伸びないと思うし、親の説明が理解できだした頃から、一気に成績が伸び始めた。

ハイレベルの高校に行くには、自分自身は「勉強しなさい」と、漠然としすぎたことは言わないことだと思っている。

 

そう言えば、今日は英検準1級の合否の発表日である。

1年前は、準2級もこの時期、受験まえだったが、1年を経て、成長したものである。

これからも、勉強しなさいとは言わないようにしたい。