この長文の要約は次のとおりです。
私たちはお話を文学ー文学のうちでも文字によらず声によって伝達される文学ーと考えています。また、お話の中でもとくに昔話が今ではもっぱら子どものための文学になっているのは現代の子どもの興味や心理や理解能力によく合うからでしょう。昔話は人間が物語を生み出し、それを支えてきた心の動きや力のもとが内蔵されています。子どもの時代に少しも昔話にふれることなく育ったら、文学を味わい楽しむために必要な何か非常に大切な要素が欠け落ちてしまうのではないでしょうか。
私も小さかったころ、寝られないときお母さんが起きていたら、昔話をしてもらいました。その中でも「桃太郎」が多かったです。「桃太郎」などの昔話を聞くと眠くなってきても何かにひかれて最後まで聞いていました。アメリカに移り住んだとき最初に一人で読んだ英語の絵本も洋風だったけど昔話集でした。私にとって昔話は大きくなるにつれ、まるでジブリ映画のように、前はわかってなかったところがいろいろとわかってくるものです。二、三才のころの桃太郎の感想はたぶん
「おもしろいなあ!」
ぐらいだったと思いますが、五、六才になると、感想は
「勇気があってすごいなあ。」
というふうに変わっていったのだと思います。お母さんが小さかったころも親から「桃太郎」や「一寸法師」を寝る前に話してもらって、自分がお母さんになって自分の子どもに話して
「こうやって昔話は次の世代へ受け継がれるんだな……。」
と思ったそうです。
私の学校では校長先生が詩やお話が好きで、全校朝礼ではみんなにわかってほしい教訓の劇を私たち六年生にやらせます。一学期は「小さなかけらでも」という小さな力でも、大きな変化を起こすことができるという童話でした。二学期は「長い橋」という協力し合ったら一人ではできないことが可能になるという童話でした。三学期は「北風と太陽」という力づくではなく、あたたかさで人は動くという童話の劇をしました。このようなことを教えるのに童話で表すのは小さい子どもは童話なら聞いて理解してくれるからかなと思います。
私は小さいころに聞いた昔話は今の読書好きの自分への第一歩だったのではないかとつくづく思います。「灯台下暗し」というように、身近な昔話に実は大きな力が秘められているんだなと思いました。人間とは自分が思ったり考えたりしたことを他の人に伝えたくなる動物だから、昔の人はその思いを昔話などで表現しているんだなあと思います。

教室のあとで
二、三歳のころの感じ方、五、六歳のころの感じ方が比較されているのがいいね! 具体的でとても分かりやすいです。学校での試みもうまく取り入れて、上手にまとまっています^^