毎日、習慣的にやっていること、当たり前だと思っていることを、いま一度立ち止まって考えるのはとても大切なことだ
という長文の感想文です。ある日、小さな弟に指摘された自分の行動について、よく考えてみました。「目の前にあるもののことを深く考えるきっかけを弟がくれた」がいいですね。題名もよく工夫できています。
この長文の要約は次のとおりです。大人にとってあたりまえのことは、子どもにとってすべて「ふしぎ」と言っていいほどだ。子どもの「ふしぎ」に対して、大人は時に簡単に答えられるけれど、一緒になって「ふしぎだな。」とやっていると、自分の生活がより豊かになったり、面白くなったりする。近代人は現代のテクノロジーの発展で神話などを嫌い、科学によって世界を見ることに心をつくした。これは外的現象の理解に大いに役立つが、そうすると自分の心の中のことや、自分と世界とのかかわりが無視されたことになる。私も何かが「ふしぎだ」と思う気持ちはとても大切だと思う。
私の4歳の弟もよくいろいろな質問をしてくる。私は中学1年生で陸上部に入っている。平日は毎朝ブツブツ言いながら5時45分に起きて、6時半に家を出る。土日も
「せっかくの日曜日が……。」
と自分に文句を言いながら部活に行っていた。ある日曜日、いつものように部活にいく準備をしていたら、弟が部屋に入ってきて、
「なんでお姉ちゃん、ブ・カ・ツ行くの?」
と聞いてきた。私は何も考えずに
「だって行かなきゃいけないんだもん。」
と答えたが、自転車に乗ってその日に練習をする競技場に向かっていると、弟の質問がまた頭の中に浮かび上がってきた。なんで私はいつもあんなに部活を嫌っているのだろう……、陸上部に入ったのは自分が入りたかったわけで、行きたくないんだったら部活をやめたらいいだけだ。私はその考えに夢中でもうすぐで競技場を素通りするところだった。そうやって私が疑問を持ったことのない、目の前にあるもののことを深く考えるきっかけを弟がくれた。
確かに、何でも「なぜ?」と立ち止まってばかりいるわけにはいかない。しかし、自分の心のうちにもっていないものは何一つ自分の財産ではないというように、身の回りのことを自分で考えて納得しないと、自立した人間にはなれないと思う。