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子供の言葉、大人の味覚

なすこんのブログ

言葉の森 作文教室 柏の葉公園教室、作品より)



合格講評

 素直な感想文^^ そして緊迫感も^^ゞ 確かに、授業中のトイレは言い出しにくいけど……、次からはすぐに言った方がいいと思います。



子供の言葉、大人の味覚


 私は次のような長文を読みました。「ノー」という言葉は時としてたいへん言いにくい言葉であるが、言いにくいからといって言うべき時にいわないわけにはいかない。「忘れました」もその一つである。そのように大事な、しかも言葉としてみればほんのかんたんなひとことだが、自分の失敗などをみずからみとめる自己否定の言葉だから言いにくい。こういう類の言いにくい言葉をほんとうに征服することができたとき、人間としての真実が開けてくる。
 私もそう思ったことが何回もありますが、その中でも、最もはっきりと覚えてるのはトイレに行きたかったときです。あの時はたしか3時間目でした。いつもよりは少し寒い日でした。私は父に似ておなかの調子が悪い時が多かったです。少し寒いだけでおなかがすぐ痛くなるのです。あの時も、おなかがとてもいたかったです。でも、あの時は授業中だったので、なかなか行きたいですとはいえませんでした。だから、がまんして、
「あと少し!」
「がんばれわたし!」
と自分に言い聞かせました。でも、その時はすごくトイレに行きたくて、でも、行けなくてとてもこまっていました。がまんするのがせい一杯で、授業にぜんぜn集中できず、とてもなやみました。勇気をふりしぼって先生に
「トイレに行ってもいいですか?」
というか、がまんするかでした。まるで、父をうしなうか、母をうしなうかと聞かれていたように私はめちゃくちゃなやみました。私はみごと45分授業のうち40分がまんしました。でも、もう限界でした。せっかく40分がまんできたのに、と思いながら、ああもうだめだと思いながら先生に
「トイレに行っていいですか?」
と聞き、先生は
「うん」
とうなづき、私はいそいでトイレに行きました。トイレに行き終わったら、ああ、すっきりしたと思い、こんなにがまんすることなかったなと思いました。
 やっぱり授業中にトイレに行くのはとても恥ずかしいことだけど、休み時間に行っておかなかったことを反省して、勇気を出して
「トイレに行きたいです!」
といったら、気持ちもすっきりすることがわかりました。「良薬は口に苦し」というように、ちょっと苦い経験はいい効果をもたらすものだということも学びました。

言葉の森 作文教室 柏の葉公園教室、作品より)


合格講評子供の言葉、大人の味覚
 毎日、習慣的にやっていること、当たり前だと思っていることを、いま一度立ち止まって考えるのはとても大切なことだ

という長文の感想文です。ある日、小さな弟に指摘された自分の行動について、よく考えてみました。「目の前にあるもののことを深く考えるきっかけを弟がくれた」がいいですね。題名もよく工夫できています。



 この長文の要約は次のとおりです。大人にとってあたりまえのことは、子どもにとってすべて「ふしぎ」と言っていいほどだ。子どもの「ふしぎ」に対して、大人は時に簡単に答えられるけれど、一緒になって「ふしぎだな。」とやっていると、自分の生活がより豊かになったり、面白くなったりする。近代人は現代のテクノロジーの発展で神話などを嫌い、科学によって世界を見ることに心をつくした。これは外的現象の理解に大いに役立つが、そうすると自分の心の中のことや、自分と世界とのかかわりが無視されたことになる。私も何かが「ふしぎだ」と思う気持ちはとても大切だと思う。
 私の4歳の弟もよくいろいろな質問をしてくる。私は中学1年生で陸上部に入っている。平日は毎朝ブツブツ言いながら5時45分に起きて、6時半に家を出る。土日も
「せっかくの日曜日が……。」
と自分に文句を言いながら部活に行っていた。ある日曜日、いつものように部活にいく準備をしていたら、弟が部屋に入ってきて、
「なんでお姉ちゃん、ブ・カ・ツ行くの?」
と聞いてきた。私は何も考えずに
「だって行かなきゃいけないんだもん。」
と答えたが、自転車に乗ってその日に練習をする競技場に向かっていると、弟の質問がまた頭の中に浮かび上がってきた。なんで私はいつもあんなに部活を嫌っているのだろう……、陸上部に入ったのは自分が入りたかったわけで、行きたくないんだったら部活をやめたらいいだけだ。私はその考えに夢中でもうすぐで競技場を素通りするところだった。そうやって私が疑問を持ったことのない、目の前にあるもののことを深く考えるきっかけを弟がくれた。
 確かに、何でも「なぜ?」と立ち止まってばかりいるわけにはいかない。しかし、自分の心のうちにもっていないものは何一つ自分の財産ではないというように、身の回りのことを自分で考えて納得しないと、自立した人間にはなれないと思う。
言葉の森 作文教室 柏の葉公園教室、作品より)

合格 講評
 この感想文のいいところは、とにかく、前向きであること。2年生から5年生、6年生へと長いタイムスパンを使いながら、どんなふうに持久走に対する心構えが変わっていったかを順序良くまとめてあります。また、そこから何を学んだのかを、ことわざを使ってまとめた結びも秀逸です。
子供の言葉、大人の味覚

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こんな長文を読んだ。運と見えるものは日常の生き方の結果である。ところが、社会性を欠いた人は「私は運が悪い。」と言う。何が原因で自分に世の中がつらく当たるのかが理解できないのである。努力と忍耐なくして幸運はありえない。困難のない人生などない。これが人生の運を考える時の大前提である。
 私もこの長文と似た話がある。それは2年生のときであった。私は走るのが苦手であった。それなのに持久走があったので、私はいやだなと思いながら本番にがんばらずに走った。そのため私は30から36位の中に入ってしまった。だが5年生になって私の担任の先生、鈴木先生が私にあることを、持久走の本番、だいたい前の日ぐらいに教えてくれた。
「鼻から息を吸って口から息を出しなさい。そうすればはやく走れるようになるからがんばりなさい。」
こう言われて勇気がわいた。それで、本番。私は
「ようい、ドン!」
と言ったとたんダッシュで走り、鼻から息をすい、口から息を出した。その結果、私は18位をとった。2年生の時よりも20位くらい早くなったのだ。私はそのときとてもうれしかったので、これからは一生けん命やることはやるぞと思った。
 6年の運動会に係りを必ず1人1つどれかやらなきゃいけなかった。私はジャンケンで負けてしまい、いちばんいやな応援団になってしまった。私はいやだなと思ったが、みんなと力を合わせたら、楽しくて応援団でよかったと思った。その後、私自身は赤組で負けてしまったが、応援だとしては応援賞を取れたので嬉しかった。ほんとうに応援団でよかったなと思った。後で思ったが、応援団はまるで炎のようにあつく、あつく燃えたんじゃないかと思った。
 人間とは自分に才能がないと、私はだめだ、ぼくはだめだと言ってしまうが、自分が努力しないからできないんじゃないかと思う。才能とはいろんなことはやりながら、その中から一つ何かを拾えばよい。精神一到何事かならざらんというように、がんばらなきゃなにもできないが、一生懸命やればできるということがわかった。