多種多様なSNSが渦巻くこの世の中で

溢れ返っているのは誹謗中傷。

私はどんなに不快な記事でも誹謗中傷投稿はしたくない。

どう思うかは自由だ。

でも顔も名前も分からないならって、何言ってもいいわけじゃないでしょう。

私が子供の頃に流行った「不幸の手紙」みたいだよね。

書かないと自分が不幸になるから、怖くて、どうでもいいバレない人に差出人も不明なまま送りつけるあの手紙。

とにかく自分がスッキリしたいから

顔も見えない人をすきなだけののしって残す。

でもちょっとまってよ。

スッキリしたの?

スッキリしたらもう、誹謗中傷やめるよね?

でも、やめないよね?やめてないよね。

むしろどんどんやる。

なんでだろうね?

投げた言葉が全部自分に返ってきて

辛くなるからだよ。

人に投げたつもりだろうけどね?

全部自分に知らぬ間に刺さってるよ。

だから無くならないんだよ誹謗中傷って。

怖いわぁ…。

そしてそういうことする人ってね、

誰がどんなことしてたって中傷するの。

しないといられないの。

誰か人を助けたところを見て「偽善者め」とか言うの。

何それもう悲しすぎる。

そんなに自分を傷付けないで。

大事にしようよ…。

みんな誰かの大切な人。

誰にも愛されてないなんて人いないって。

そこ卑屈になっちゃだめだよ。

自分から受取に行こうとしてないからだよ。

悪口はブーメランなんよ。

ほめてこ。褒めもブーメランよ。

いいことどんどん気付けるようになるよ。

朝起きられた  それだけでもうラッキーなんよ。

私はヴィーガンではないです。

別にどちらも責めるつもりは毛頭ないです。


自分がどんな信念を持ち

どのように食事をするかは自由だと思います。


問題なのは、お互い押し付け合うことなのでは?と

考える。


自分こそ正義で、それに従わない者はおかしい、と。


それを振りかざすことが良くないんだよねぇ。


認めて欲しいんだろうな。

貴方が正しいと言って欲しいんだろうな。

そう考えます。


別に何が正しいかとか

どうでも良くないですか?

全部自分の事だから。


命はもう存在するだけで犠牲が出るものです。

何にも迷惑かけず生きていくことは

どんな生命でも不可能です。

そうやって地球は巡っているのだから。


誰かに役立つ命は

誰かに迷惑なんです。

必ずそうなんです。きっと。


その複雑な巡りが、この地球を動かしているんではないかな?って。


それでいいじゃない。




寝苦しいのもあるけれど

ちょっと過去のトラウマ的なアレが
フラッシュバックしているから。

一番古い記憶は幼少期

3つ年上の兄に
強要されていたある、行為

今思うだけでも、殺意が沸く。
なにも知らない私に
まだ幼稚園にも行ってなかろう私に

命令してイタズラしていた。

親が「寝た」と思って寝かせていた
その親のいない寝室で。
親が寝に来るまでの数時間の間に

まだそれが
おかしいことだと気づきもしない私に。

酷いことです。

だって私、未だに
自分も悪かったとか
こんな私は生きる資格ないとか
思ってしまう

そんな人間に
悪意がなかったとしても
仕立て上げたあいつが
憎くて仕方ない。

今なお消えぬこの憎悪は
どうしたらいいのだろうか。