国語力の本質 | 学びの冒険者 原口直敏Side←L "The Logical Brain Monster"

学びの冒険者 原口直敏Side←L "The Logical Brain Monster"

学ぶための方法や時間活用術、戦略、Tips、実績等々。
苦手な人も、得意な人も、必要に迫られちゃった人も、
学びについて語り合おうじゃありませんか!

インターネットなどで質の低い議論が
時たま目立ちますよね。
いわゆる炎上とかも良くあります。

もちろん、原因は様々でしょう。
しかし、その原因の一端に
国語力の低下があるのではないか?
僕はそう感じているのです。


そもそも国語力の本質とは何か?


それは、言葉の知識でも文法の知識でもない。
古典文学に精通する事でも
慣用句やことわざに詳しくなることでもない。
では、それはいったい何か?


▼国語力の本質
書かれている文章から
1.書かれている事と
2.書かれていない事を
同時に読み取る能力


これが、国語力の本質です。
書かれている事を読み取る事は必要ですが、
書かれていない事まで読み取れなければ
充分ではありません。


「そんな事、国語の授業で教えてもらっていない」


そんな声が聞こえそうですが、
みなさんやっているはずです。
ただ、この本質にフォーカスしていないだけ。


では、国語っぽくするために、
文学作品を使って説明しましょうか。

文体が素直で、誰でも知っていると言うことで、
夏目漱石の「坊っちゃん」の冒頭を取り上げましょう。


まずタイトルの「坊っちゃん」。
ここから既に国語力への挑戦が始まっています。

「坊っちゃん」という言葉から何を連想しますか?

元気な男の子
良いとこの坊っちゃん
世間知らず
etc.

そんな事を連想した上で、読み始めます。

「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。」

無鉄砲ってことから、
元気な男の子って言うのは当たっていそうです。
親譲りということは、親恐らく父親も無鉄砲なのですね。
結構スリリングな家庭環境かもしれません。
子供の時から損ばかりしていると言うことは、
主人公は既に大人だってことが分かります。

「小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて
一週間程腰を抜かした事がある。」

無鉄砲の具体例です。
具体例を共有することで、
だいたいどんな感じの無鉄砲さなのかを
伝えようとしています。
そして具体例は続きます。

「なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかもしれぬ。
別段深い理由でもない。
新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、
いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。
弱虫やーい。と囃したからである。」

「別段深い理由でもない」と言う部分に味わいがある。
悔しくてやむにやまれずに取った行動じゃあないのである。
「なにを!」と言うような感じで、衝動的にポーンと言う感じ。

また、このエピソードで分かるのは、
言葉でやり返すのが苦手だと言う事。
主人公自身が「冗談」だと分かっているのだから、
議論が得意ならやり込めているところのはずだ。
だが、主人公はそれをしないで
ポーンと飛び降りてしまった。
小難しい事を考えるのが苦手なことが、
このエピソードから読み取れます。


と、この様に、ある文章から
そこに直接書かれていない事を含めて
豊かな情報を引き出す力が
国語力の本質だと僕は考えているのです。

そして、この能力が欠如していると、
純文学なんて読むのが辛いはずです。

逆にこの能力が豊かだと、
純文学のみならず
学ぶ事全てが楽しくなるはずなのです。



学びの冒険者 原口直敏