こんにちは。俣野成敏(またのなるとし)です。

 

 人間関係でよく聞かれるのが、“人脈”という言葉でしょう。特に、成功者の周りは、常にその威光にあやかりたいと思う人たちでごった返しているものです。

 

 一体、どうしたら成功者の人脈となれるのでしょうか。事例として、ダイエーの創業者だった中内いさおさんの随行秘書(かばん持ち)をしていた恩地祥光(おんじよしみつ)さんの場合を見てみましょう。

 

 恩地さんは1977年にダイエーに入社し、5年後に中内さんの随行秘書に抜擢されます。当時のダイエーは、小売業界で初の年間売り上げ1兆円を突破(1980年)するなど、まさに破竹の勢いでした。

 

 中内さんといえば、「よい品をどんどん安く」のモットーが有名ですが、今では当たり前となっているこの考え方も、中内さんが広めたからこそ、です。

 絶頂期のダイエーに消費者は声援を送り、中内さんは神のような存在として崇められたものの、やがて時代に取り残され、後継者指名に失敗。失意の晩年を送ることとなりました。

 

 中内さんの“かばん持ち”となった恩地さんは、「戦々恐々としながら、その仕事に赴任した」と言います。前任者は中内さんの逆鱗に触れて、たった1週間でお役御免になったばかりでした。

 

 恩地さんは、仕事をまっとうするためには「事前の準備」と「車中で共に過ごす時間をいかに有意義なものにするか」が重要だと考えます。中内さんのスケジュールは常にいっぱいで、車中でも自動車電話を使って社員に指示を出したり、情報収集の時間に充てたりしていました。

 

 そこで恩地さんは中内さんのために、朝イチであちこちを回って新聞を買い求め、中内さんの役に立ちそうな記事を切り抜き、ファイルにしたものを毎朝、社用車の後部座席に置くようにします。当時は、情報収集といえば書籍か新聞くらいしかなかった時代ですから、これは大変喜ばれました。

 

 また、競合店がオープンした際、恩地さんは自らお店に足を運んで写真を撮り、自分の歩幅で面積を計り、商品ラインナップを調べ、自社との価格差を表にして、資料として中内さんに提出していました。

 こうした努力が実って、恩地さんはその後20年近くにわたって、中内さんに仕えることとなったのです。

 

 恩地さんが、時代の寵児だった中内さんの人脈になりえたのは、

 

1、相手の時間を節約することを考えたこと

2、相手が欲しがっていたモノを、誰よりも早く準備し、渡していたこと

3、一次情報(現場の生情報)を自ら取りに行っていたこと

…などが考えられるでしょう。

 

 恩地さんの話からは、成功者を人脈にするノウハウが詰まっていると思います。よかったら、何か1つでもご自身の行動に取り入れてみてはいかがでしょうか。


 

 ありがとうございました。


 

★他にもサラリーマンのノウハウを知りたい人はこちら↓

『プロフェッショナルサラリーマン:「リストラ予備軍」から「最年少役員」に這い上がった男の仕事術』

 

 

 

 


 

《参考文献》

『中内功(本来は“力”ではなく“刀”)のかばん持ち』恩地祥光著、2013年、プレジデント社