こんにちは。俣野成敏(またのなるとし)です。
今日は、最近、読んだ本について、思いつくままに語ってみたいと思います。
私は現在、まぐまぐメルマガスタンドで有料メルマガを連載しています。
同じまぐまぐスタンドで、有料メルマガ発行者の1人、高城剛(たかしろつよし)さんが、『2035年の世界』(高城剛著、2014年、PHP研究所)という本を出版されています。
高城さんは世界中を旅して、レポートを発表されている方です。さすが、自ら一次情報を取りに行かれているだけあって、興味深い内容となっています。
本の内容は、その名の通り、未来の世界を予測したものです。
具体的に言うと、「人が死ななくなる」とか、「年を取らない」「いつまでも健康」、果ては「遺伝子操作によるデザイナーズベイビー」に至るまで、およそ人間が考えつく限りの欲望のほとんどが、いずれ実現されるだろう、とあります。
そこに需要がある限り、いずれ人間は何らかの形で自らの欲望を実現するでしょう。しかしそうなれば、厄介な問題も浮上してくることになります。たとえば、その1例がこれです。
AIは意識を持てるのか?
https://japan.cnet.com/article/35123273/
今、世界中で、代替え要員としてのAIに期待が集まっています。
AIは人間と違って計算が早く、重労働にも耐え、正確な動作をし続けられるという点で、以後、重要な役割を担うことは間違いありません。
労働力として期待される一方で、多くの研究者が、競って「AIやロボットは意識を持てるのか?」といったことを研究しています。
人間関係が希薄になる中で、AIが人間のパートナーになることを期待している人も、一定数の役割で存在しているのは確かです。
そうかと言って、今でさえ、意識を持つ人間同士が相争っているのが実情です。さらに、人間を助けるために開発されたAIやロボットなどが意識を持つようになれば、ますます面倒なことになるような気もします。
たとえば、ロボットが「今は介護をする気分じゃありません」と仕事をボイコットしたり、「私はなぜ、人間のために働かないといけないんですか?」と、自分が存在する意義について考えるAIなどなど…。
話としては、面白いかもしれませんが、このようなことが現実になれば、ややこしいことになるでしょう。
実際、電気自動車のテスラや、宇宙船開発のスペースXを立ち上げたイーロン・マスク氏を筆頭に、著名人の多くが「AIの開発には、規制を設けて慎重に行うべきだ」との声を挙げています。
本当に意志を持ったAIが生まれれば、笑い話では済まなくなります。しかし、それでも開発を続ける人がいるのは、「できないことをできるようにしたい」とか、「不可能に挑戦する」というのが、人間の性だからなのかもしれません。
もちろん、人によって求めるものが違う以上、「これは良いけれど、これを求めてはいけない」などと、他人が言えるものではありません。ですが、何事にも、リスクが付いて回る、ということを忘れないようにしたいものです。
これまで、若さが珍重されてきたのは、人間が年を取るからです。
なのに、仮にみんなが、いつまでも若く美しく、しかも死なない、となってしまったら、若さも美しさも、価値が半減してしまうのではないでしょうか。
死ななくなれば、時間も貴重ではなくなります。もしかしたら、暇を持て余すだけで、人生も退屈なものになってしまうかもしれません。
一時期、「インターネット上から自分の名前を消す権利」というのが取りざたされていましたが、人間が死ななくなったら、今度は「死ぬ権利」ということが、争点になる日がやってくるのかもしれません。
ありがとうございました。
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