こんにちは。俣野成敏です。

 

今はネットを叩けば、たいていの情報は手に入る時代です。けれど逆に情報が多過ぎて、「どれが本当なのかがわからない!」と悩んでいる人が少なくありません。

 

私はよく、人から「俣野さんはどうやって情報を仕入れているのでしょうか?」といったことを聞かれます。それに対して「私の情報源は、新聞でもテレビもありません」と言うと、だいたい驚かれます。

 

確かに、新聞やテレビは社会人同士がコミュニケーションを取る際のきっかけにはなるでしょう。ですが率直に言って、活字や映像になる時点で、それらはすでに“過去のもの”です。新鮮な情報を求めるのであれば、口伝には敵いません。その道の第一線の情報源を持てるようになると、公の情報にツッコミを入れられるようになります。

 

ご注意いただきたいのは、たとえ公の情報であったとしても、情報を流す者には、必ず流す意図が含まれているということです。100%完全に客観的な情報など、世の中にはありません。試しに、日経新聞の記事を見てみましょう。

 

たとえば「世耕経産相は会議で『2030年の(電源構成)目標を達成するために何をするかが重要だ』と述べた」という新聞記事があります。一見、客観的な記事に見えますが、実は「この発言は重要だ」と思った記者が取り上げたものです。本当は会議でたくさんの意見が出たにもかかわらず、あえてこの発言だけを取り上げたということになります。

 

また、別の記事で「中国の通販市場拡大に伴い、段ボールに使う古紙の価格も上昇が目立ったという。前月比では0.3%上昇した」という記事があります。これも結局のところ、古紙の値段が上がった要因は憶測に過ぎません。本当のところがどうなのかは、誰にもわからないワケです。

 

どちらかと言うと、公の情報は「とびきりのネタを探す」ためではなく、「比較的信用のおける情報ソース」としての意味合いのほうが大きいのではないでしょうか。現在はインターネットの登場によって、情報を受けるだけでなく、誰でも手軽に発信することができるようになっています。それに対して多くの人は、手に入れた情報の真偽を判断することができません。これが真実をわからなくさせている一因です。

 

ご存じの通り、ネットは便利であると同時に、無責任な意見や誹謗中傷なども氾濫しています。ですから公の情報が、それらを選別する際の一つの羅針盤的な役割を果たしていると言えるのではないかと思います。

 

お伝えしたいのは、「まずは今ある情報を選別できるようになる目を持とう」と言うことです。今、私たちは「どこかにとびきりの情報があるのではないか?」と探し求めるあまりに、情報中毒に陥っています。そのせいでますます自分の時間がなくなり、身動きが取れなくなっている人が多いような気がしてなりません。

 

選別眼を持てるようになるには、

 

(1)情報に接した際に、その情報を鵜呑みにしないこと

(2)「この情報を流した者の真の意図とは何か?」と考えること

を、まずはクセづけるようにしてみてください。

 

大事なことは「自分で判断する」ことと、「自分の判断を信じて、その結果を受け入れる」ことです。そうすれば、たとえ失敗しても次に活かすことが可能となります。これを教訓と言います。

 

教訓は、自分の中に経験として蓄積することができます。よかったら早速、今日から選別眼を磨くために行動してみてくださいね。


 

ありがとうございました。


 

★俣野成敏最新セミナー★

http://www.matano.asia/seminar/