日本空手道 葉隠塾東京本部 瞬機必殺の理 -2ページ目

思い

身を律し気持ちを高揚させ事に臨んで生きてきたら、いつの間にかそれが性となり人から疎まれて来たようだ。

こだわりを持つのは確かに心の支えとなるが、年とともに相手の感じる印象が変わるのだろう。

精力的に見えたものも因業となり果てるのだ!

変わり身の不器用さにほとほと嘆くばかりだ。

ここは一つ、歳の変わり目に変えてみようかな。
もう頑張らなくても良いのだから。

先ず潔しとしなかった事を捨ててみよう。

男だ!  もう 良いじゃないかジジイだもの。
侮られてなるものか!  それって痛いのくるしいの?ならば侮られてあげようよ。

楽になろう!


成嶋弘毅

お知らせ

来春からまたブログを始めるつもりでおります。

しばらくのご無沙汰でしたが宜しくお願い申し上げます。

 

成嶋弘毅

 

忘れられて終ったでしょうか

長らくご無沙汰致しました。

変わりない読者の方々、お元気でしょうか。

長く続けておりましたものですから懐かしさは一入(ひとしお)です。
また、久々に戻って来たくなりました。

宜しくお願い致します。


成嶋弘毅

お知らせ

葉隠塾ウエッブサイト(ホームページ)の管理人とのコンセンサスが取れましたので今後は
記事その他をそちらに移行して参ります。

ブログでお世話になりました読者の皆様にはこれからも引き続き宜しくお願い申し上げます。

新たに『葉隠塾News』として設けらた欄には催事なども載せてお知らせしてまいります。

アメーバブログを破棄する事は致しませんので古い記事などにコメント頂きましても引き続き
確りとお応えさせて頂きます。

では、ここではしばらくお別れ致します。



塾長成嶋弘毅

大言壮語

『大言壮語』

景気の良い言葉だが慎み深い仕儀とはほど遠い。
意味はできそうもないことや能力を超えた威勢のいいことを云うことだが、
それは武士道に叶わず紳士道にもありません。

若い頃は景気付けに良くぼくも用いたことがあります。
その為にそれを実現する努力をしなければなりませんでした。
しかし、明らかに無理な事は云わず、しないようにもして来ました。

どう見てもそれは決して褒められたものではないのです。
丈を知り過ぎた若者もつまらない者ですが!
人間、無理も背伸びも必要です。
でも何事も過ぎると不様になって仕舞うものなのです。

見栄も向上心のあるものとただの虚栄心(見せかけを誇る)と思わせるものがあります。
総じてそれは実がない無意味な仕儀なのです。

これは特定の人間を批難しての事ではないので誤解は止めてください。
単に、人間が持つ卑しい心の戒めとして書いただけのものです。

武士も紳士も蔑んだ人間の恥部です。


塾長成嶋弘毅