2006年。ついについに、初めての採用をいただく。TRFのアルバム「Lif- e-Motion」の中の一曲、「as it is」だ。demoの僕のコーラスが良かったということで、CDには僕が多重コーラスで参加している。神戸から東京に歌いに行った。ねえ、この時の僕の喜びを、想像してみてよ!

 

そして、2月16日。神戸の板宿という町の小さな喫茶店でスポーツ新聞を読んでいたら、AAAの記事が載っていた。3月に発売されるシングルのタイトルが「Shalala」だとそこには書いてあった。

 

ん?「シャララ??」

 

わお。信じられない。シングルに採用か!AAAは前年デビューし、レコ大の最優秀新人賞を獲る程の勢いのあるユニット。

 

(この2005年末から2006年の2月にかけての3ヶ月ほどで僕は、後にAKB48に歌われることになる「BINGO!」「ひこうき雲」「真夏のクリスマスローズ」「街角のパーティー」などの原型をここで立て続けに作っている。そういう時ってあるものだ)

 

僕はますます、作曲コンペ用の制作に励むようになる。

”このくらいのレベルのものを出しておけば大丈夫”

という感覚を得た気がした。

 

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作曲家としてデビューするにあたり、僕はもう一度、東京に住むことにした。いろんな考え方はあるだろう。僕は音楽の世界の主戦場はTOKYOだと考えている。そこで勝負したい。

 

激しいダイエットを自分に課し、禁煙と不摂生で増えていた体重を10キロ以上落として上京した。僕の10代の頃からのテーマソング、ブルース・スプリングスティーンの「サンダー・ロード」の歌詞をかみしめたよ。

 

僕はもう、37歳だったんだけど、気持ちは18だった(笑)いや、ほんとだよ!

 

 

上京して、南武線沿線の小さな町で暮らすことになる。元々ない貯金もすっからかんになってしまった。まあいいさ。TRFのアルバムはオリコンで7位。AAAの「Shalala キボウの歌」もトップ20に入るヒットになった。印税でしばらくは暮らして行けるはずだ。それまでにまた、採用をもらえるように頑張って曲を書けばいいさ。

 

今から作曲家を目指す人たちに言っておきたいんだけど。あのね、印税で食べていくって本当に大変だよ!!

 

振り込まれた印税を合わせても、同世代のビジネスマンの月給にも足りなかった。もちろん生活など出来ない。すぐに僕は求人情報を漁ったよ(笑)というか、最初から計算しておけ、って話なんだよね。

 

僕はバンド時代にはアルバム曲をほぼ全曲、作詞作曲していたし、マネージメント料なども考えなくて済んだ。あの頃オリコン42位であのくらいだから、「今回は割と入ってくるなぁ」なんてどんぶり勘定だったよ、かなり痛かったね。何やってんだ俺は!って感じだった。まったくね。

 

印税で食べていくのは大変だ。ああそうですか。じゃあ、やめますか。いいえ、やめません。もっともっと、でっかいヒット出したらいいんでしょ。

 

相当に単純な思考回路だけど、僕はそう考えて、もう一度、チャレンジを始めたんだ。今度はTOKYOで。

 

なるべく時給の高いアルバイトを探してね(笑)昼間は一生懸命、働いたよ!

 

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いつも読んでいただいてありがとうございます!!

成瀬英樹

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