2003年。消防設備点検の現場は、大別すると二種類に別れる。マンションなどの集合住宅の点検と、駅ビルやホテルなどの点検だ。基本的に半年に一回のペースで実施することになっているので、半年に一度のサイクルで同じ現場を訪れる。

 

集合住宅の点検はそれほどタフな仕事ではない。許可を取って一部屋ずつ入室させてもらい、各部屋ごとに火災報知器を点検し、ベランダの避難はしごを点検する。共用部の防火扉、消火器、誘導灯、駐車場などの点検も含まれる。僕は若い頃にサーヴィス業のアルバイトを多数やっていたおかげで、初めての人と接することにはなれていた。入室しての点検も苦ではなかった。

 

ありとあらゆる集合住宅の部屋に入室した。そこには様々な暮らしがあった。ある高級マンションの一室では我が小学生時代憧れの女性歌手が家族と暮らしていた。マスコミに追いかけられて様々な憶測をされていた夫妻だったが、土曜日の午後、一家でとても幸せそうだった。人生なんてわからないものだな、と思った。

 

昔の友人の部屋に偶然当たることもあった。「あれ、なるちゃんやん、なにしとん? デビューして東京行ったって聞いたけど」「いや〜、色々あってな〜出戻りや」

 

きついのはもう一方の種類の仕事だ。駅やホテル、巨大な商業施設などの設備

点検。こちらは二週間同じ現場に通い詰めることもある。いつ終わるとも知れぬ果てしない数の客室、あまりにも広い駐車場、何十階もあるビルを階段で歩いて点検して回る。営業時間外や電車が動いていない時間に作業を行うために深夜から朝にかけて。屋外の仕事も多く、とても暑いかすこぶる寒いか。半年に一度、そのサイクルを繰り返す。

 

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楽曲コンペメールをもらう。提出する。返事がない。この無限とも思えるループを月に5回以上繰り返す。どうにかなりそうだった。酒量は増え、体重は増加した。生まれたばかりの娘の無邪気な笑顔がなければ、僕はもたなかっただろう。

 

性懲りも無く、しっかりアポを取って、再び担当に会いに神戸から東京へ。批判でもなんでもいい。腐されてもいい。自分が作った作品に何の反応もないなんて耐えられなかった。事務所がある青山のビルの前で彼に「着きました」と電話をした。

 

「あれ〜、お前来んの、今日だっけ!? 悪りぃ、今日は会えないわ〜」

 

そのままUターンして神戸に帰った。怒る気にもなれなかった。もう何も感じなかった。

 

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娘が生まれた日に、記念にウクレレを買った。子守唄がわりにポロポロと引いているうちに、この楽器の奥深い魅力の虜になった。独学でウクレレの研究を始めた。不思議なもので、ウクレレを学ぶことで、ギターのこと、音楽のことが以前より理解できるようになった。ハワイアンやジャズのウクレレなども先生について習おうとしたが、僕はオリジナルなスタイルで行こうと決めた。人から何かを習うことに向いていないのだ。

 

 

作曲のコンペには出し続けた。他に突破口を見つける術もなかった。僕にはヒット曲を出して、暮らしを安定させる必要があった。しかし、2003年も一曲も採用なし。採用どころか、なんの反応すらなかった。

 

僕はもう一度、デモをまとめ、あてずっぽうにあらゆる音楽事務所に送った。35歳になった。

 

 

成瀬英樹

http://www.hidekinaruse.com

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2003年に書いた歌から。JUNK

こんな地味な歌、誰のコンペに出したのだろう。誰に歌ってもらおうというのだ!(笑)当時の僕の心の叫びに聴こえる。