君も野球は好きだよね?

 

僕もとても好きだから、時々は野球についての話なんかもしようよ。なんだかんだでいろんな試合を観たり、いろんなことを感じたりしてきたからね。もしそんな話でも、楽しんでもらえたら嬉しいよ。

 

僕の父は、熊本工業高校の出身なんだ。川上哲治から前田智徳まで、輩出した大選手は数知れない名門校だ。父は就職し転勤、僕の一家は神戸の隣町、兵庫県明石市に住むようになった。だから僕が育った故郷は明石市と言えるのさ。

 

そして、幼い頃、僕が父と出かけた楽しい思い出は、家から電車で30分くらいのところにある、甲子園球場での野球観戦の記憶が殆どなんだ。

 

春・夏の甲子園に、父の母校の熊本工業が出場する試合は、小学校時代の六年間はほとんど連れて行ってもらって観ているはずだ。何と言っても、甲子園の高校野球は外野スタンドが無料だったからね(笑)ネット裏でも1000円代だったよ。安価で1日中、大いに楽しめる。男の子をもつ父親として、とても便利な場所だったのだろうな。

 

僕は今でも、野球を観る際は、スコアブックをつけながら観るんだ。子供の頃、本を読んで自己流で覚えた。スコアをつけながら野球を観る楽しみに勝る、気分的な贅沢は、ちょっと他には思いつかないな。

 

野球とは時間の制限のないゲームだ。いつ終わるともわからない試合を、ワクワクしながら、夢中で観る。野球はすべてのプレイに記録が付く。一つ一つのプレイに名前をつけてゆく。犠飛、捕殺、三振、安打、なんてね。スコアブックの上で選手達が躍動するように感じられるんだよ。

 

野球は、ビールを飲みながら仲間とワイワイと楽しむのも、もちろん最高なんだけど、スコアシートやデータの数字を検証して、選手の隠れた特徴を探す、なんて楽しみ方だってあるんだよ。

 

ところで、君は甲子園での高校野球大会で、春夏通じて初の完全試合がいつだったかを覚えているかい? もう随分昔の話さ。なんと40年前だよ。1978年3月30日なんだ。

 

その日僕はネット裏の記者席の近くで1試合目から父と観戦していた。いつものようにスコアをつけながら。小学校3年生から4年生になる春休みのことだ。どんな気持ちで過ごす日々だったのだろう。

 

3月30日の第3試合、前橋高校と比叡山高校の試合で、それは起こった。前橋の松本稔投手が一人のランナーも出していないと、ネット裏がざわつき始めたのは7回終了時くらいか。

 

周りで観戦していた大人たちが、僕のスコアブックをのぞきながら、「ランナー出てへんよな?」「パーフェクトやんな?」と訊いてくる。「は、はい」なんて僕は答えたはずだ。

 

ラジオのアナウンサーは、もし完全試合が達成されたなら、春夏通じて初であることを教えてくれた。戦前から行われている歴史ある大会で史上初。大変なことだ。

 

一人、また一人、松本投手は淡々とバッターをアウトにする。周りの大人たちが僕のスコアブックを除く。父は誇らしく感じてくれていただろうか。僕は顔を赤らめていたに違いないな。

 

松本投手は力感のない投手だ。恐らくは奇跡的にコントロールが低めに決まり、これまた奇跡的にゴロの打球が正面をついたのだろう。27アウト中、三振は5つしか取っていない。

 

そして、彼は達成した。完全試合だ。一人のランナーも出さない完璧な試合。そんな試合を観られるなんて。なんと運のいい!本当に僕は野球の神様に魅入られた神童だったわけだよ(笑)

 

そりゃあ甲子園は、盛り上がっただろうな。完全試合、パーフェクトゲームだ。

 

しかし僕にはその後の記憶が全くないんだよ。父と何を話しながら帰ったのか。家で何を話したのか。

 

どうやら、その日は木曜日だったらしい。「ザ・ベストテン」で久米宏さんが、この試合について言及していたようだ。

 

僕は「ベストテン」を毎週観ていたから、久米さんがこの試合の話をした時に「僕、観たんだよ!」って誇らしい気分になったのだろうな。

 

後日談として付け加えると、この松本投手はのちに、母校・前橋高校の監督となって、甲子園出場を果たしている。もう40を越えていただろうに、当時の面影を残した青年監督といった風情で、僕は久しぶりに懐かしい親戚に会えたような気がしたんだよね。

 

ところで、調べてみてわかったんだけど、1978年3月30日には父の母校、熊本工の試合はなかったんだよね。というか、この大会に熊工は出場していない。じゃあなぜ、僕を甲子園に連れて行ったのだろう。しかも木曜日、平日なのにね。

 

一番「持っていた」のは父だったのかもしれないね。

 

僕はいつも思うんだよ。ベースボールってのは、記憶のゲームだよね。目を閉じると、あの日の歓声が聞こえてくるようだ。