TOKYO FM「やまだひさしのラジアンリミテッドF」
元キマグレン「LIFE」ヒットも数億円の借金…壮絶人生を語る
クレイさんと言えば、夏限定のライブハウス「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」のプロデューサー、そしてキマグレンのメンバーとして一世を風靡しました。しかし2015年にキマグレンを解散して以降、その活動内容はあまり公になっておらず、やまだも「クレイくんは謎が多い人物」と話します。そこで、今回の放送では“クレイ勇輝の波乱万丈人生”と題し、クレイさんの過去を紐解いていきました。
ミュージシャンとしてのイメージが強いクレイさんですが、もともとは医者になる予定だったとか。水泳での怪我をきっかけに体の仕組みについて興味を持ち、「ニューヨークの大学の医学部に進学した」とクレイさん。しかし、数年勉強し、当初の目的であった体の仕組みについて学ぶと、あっさり大学を辞め帰国。その後「好きな音楽や海にまつわる仕事がしたい」と感じたのが、「音霊」誕生のきっかけだったそうです。
来年で15周年を迎える「音霊」ですが、立ち上げ当初クレイさんは家がなかったとか。勝手に医学部を中退して帰国したことで両親に家を追い出され、当時乗っていた5万円で買った車(ワゴンR)で暮らしていたそうです。
そして、「音霊」立ち上げ期に結成したのがキマグレン。当時は「音遊(音霊のプロデュースする会社)を経営しながら、遊びでやるつもりだった」とクレイさんは言います。キマグレンを象徴するヒット曲「LIFE」が生まれたのは、趣味として3年ほど活動したころ。それがあるプロデューサーの目に留まり、その後アレンジなどを加えて爆発的なヒット曲へと成長しました。
順風満帆かと思いきや、クレイさんは「『LIFE』が世間に浸透し始めた当初、音遊は経営的に厳しい状況だった」と当時を振り返ります。なんと数億円規模の借金を負い、ガスや電気が止まるような生活をしていたのだとか。これにはやまだも「“LIFE”をヒットさせた人の“ライフライン”が止まっていたの!?」と驚きつつもうまい切り返し。
そんな壮絶な人生を歩んできたクレイさんですが、「医学部・キマグレン・ボクシングといろいろやってきたけど、“戻りたい”と考えたことはない。ピンチを乗り越えて、いろいろな選択肢がある今がいい」と話します。現在は舞台のプロデュースを目指し、演技の勉強をしているのだそうです。
どんな環境でも生きていく人間力やセルフプロデュース力、そして飽くなき探求心を持つクレイさんの姿勢に「ファンはもちろん、いろんな人間がクレイくんの生きざま(=LIFE)に惹かれるんだろうね。僕も教わることがいっぱいある」と感心するやまだでした。
(TOKYO FM「やまだひさしのラジアンリミテッドF」より)