半年前くらいに才能ってこういう事かなって思って、
それをもうちょっと深堀したいと思って、
それをブログに書き留めようと思って。
思ってたけど、
意外に思考が進まないので、
「ワタクシ、脳みその限界低っ」てなって
ほったらかしにするつもりだったけど、
入口で思ったことだけは
文章にしとこうと思って書く。
才能って、
資質が基になってるとは薄々認識していたが、
その資質がどう育まれるかって事。
スポーツの世界では、
才能は随一だったけど、
けがやら、指導者との巡り合わせやらなんやらとかで、
開花させられなかった的なとこに、
「それは残念」とも思うし、
「結果残せなないなら才能とか言われてもなぁ」とも思うしって事で
イマイチくっきりこなかったんやけど。
資質は資質で、各個人にあって、
一番有名なものの一つは
ストレングスファインダーなんだろうが(確か今名称変わった)
やはりそれは統計的に正しいような認識でいる。
でも、資質の特性はあっても、
かなり汎用性はあるので、
資質=才能とは言えなくて。
そうすると、才能って、
やっぱ幸せかどうかって事になるんかなと思って。
人の幸せの定義の一つの考えに
昔から忘れられない事があって、それは4つ。
1.人に必要とされる事
2.人に愛される事
3.人に褒められる事
4.人の役に立つ事
資質がこの4つのどれかか(重複可)と絡んだら、
それこそが才能なのだろなって。
で、さらにその才能が
資本主義社会では
マネタイズできるところに発揮するのが
ヨシっとされるのかなと。
と、ここをぱっと思って思考深堀しよと思ったが
残念ながら進まずここで終わり。。。
続きとしては、
では封建社会では?とか
共産主義社会では?とか
そういう事を考えようと思ったが、
思考が伸びんかった。
ま、そもそも幸福について
きちんと学んでないから
そんなに偉そうな事言えないんやけど。。。
まあ下手な考え休むに似たりをやってしまった次第。