才能について | 繁盛のさせ方が未だ分からない 焼肉 鳴尾.b(なるお.べー) 牛赤身肉研究所

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最寄り駅4つもあるけどどこからも遠く、戸越銀座とパルムとの大商店街からは見事に外れ、視認性のない二階であり、専用階段入口は大通りから入った路地にある。そんなわびしさこの上ない場所で、平凡な初老オヤジがいつか繁盛させたいなとの日々のブログです。

半年前くらいに才能ってこういう事かなって思って、

それをもうちょっと深堀したいと思って、

それをブログに書き留めようと思って。

 

思ってたけど、

意外に思考が進まないので、

「ワタクシ、脳みその限界低っ」てなって

ほったらかしにするつもりだったけど、

 

入口で思ったことだけは

文章にしとこうと思って書く。

 

才能って、

資質が基になってるとは薄々認識していたが、

その資質がどう育まれるかって事。

 

スポーツの世界では、

才能は随一だったけど、

けがやら、指導者との巡り合わせやらなんやらとかで、

開花させられなかった的なとこに、

 

「それは残念」とも思うし、

「結果残せなないなら才能とか言われてもなぁ」とも思うしって事で

イマイチくっきりこなかったんやけど。

 

資質は資質で、各個人にあって、

一番有名なものの一つは

ストレングスファインダーなんだろうが(確か今名称変わった)

やはりそれは統計的に正しいような認識でいる。

 

でも、資質の特性はあっても、

かなり汎用性はあるので、

資質=才能とは言えなくて。

 

そうすると、才能って、

やっぱ幸せかどうかって事になるんかなと思って。

 

人の幸せの定義の一つの考えに

昔から忘れられない事があって、それは4つ。

 

1.人に必要とされる事

2.人に愛される事

3.人に褒められる事

4.人の役に立つ事

 

資質がこの4つのどれかか(重複可)と絡んだら、

それこそが才能なのだろなって。

 

で、さらにその才能が

資本主義社会では

マネタイズできるところに発揮するのが

ヨシっとされるのかなと。

 

と、ここをぱっと思って思考深堀しよと思ったが

残念ながら進まずここで終わり。。。

 

続きとしては、

では封建社会では?とか

共産主義社会では?とか

そういう事を考えようと思ったが、

思考が伸びんかった。

 

ま、そもそも幸福について

きちんと学んでないから

そんなに偉そうな事言えないんやけど。。。

 

まあ下手な考え休むに似たりをやってしまった次第。