つらつらと052 諸葛亮は生まれ変わっても馬謖を斬るか?⑬愚将 | 繁盛のさせ方が未だ分からない 焼肉 鳴尾.b(なるお.べー) 牛赤身肉研究所

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最寄り駅4つもあるけどどこからも遠く、戸越銀座とパルムとの大商店街からは見事に外れ、視認性のない二階であり、専用階段入口は大通りから入った路地にある。そんなわびしさこの上ない場所で、平凡な初老オヤジがいつか繁盛させたいなとの日々のブログです。

求心力について思う事。

 

組織の上に居ていっときして

思わしくない業績が続いてから、

自分の求心力が低下してると自覚した時は

最悪だった。

 

自分に求心力がない統べ方をしようと思ってて、

それが出来てなかったからだ。

 

ワタクシはかなり若い頃から

自分が凡庸であるとの自覚があった。

(社会に出る前、学生の時に自覚した)

 

又、

親分肌とか兄貴肌とか親方気質というものを

一かけらとも持っていないのも分かっていた。

 

なので、自分が求心力を持たない統べ方を

イメージして仕事するのは当然の流れだったし、

 

もともと、

[Mr.蚊帳の外]的な性質が自分にはあったので、

それは出来ると思っていた。

(結果うまくいかなかった)

 

しかし、自分でも気づかぬうちに

求心力を発生させてしまった。

 

で、当然にワタクシのやり方は、

その求心力を毀損するジャッジばかりを

していく事になってしまったのであったように思う。

 

 

 

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求心力が下手にあると、

優秀な人間にも依存心を植え付け、

その者の業務は

逐次的に遂行されるだけに過ぎなくなる。

やがてその者は

小さくまとまるだけに終わる。

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 ワタクシは、

 部下の上に、居るべくして居る訳ではないと捉えてたし、

 常に自分が愚将であるかも知れないという見方を忘れた事はない。

 

 愚将に導かれた集団は悲しいくらい意味がない。

 しかし、その一方で、

 愚将を愚将と断定するのも非常に難しい。

 

 ワタクシ自身が、

 人の上に立ちたがる人間だったらまだ良いが、

 その辺は変に利口だったのか、

 リーダーシップを持たない統べ方を執っていこうとした。

 

 しかし人は、

 能力の基礎を提示してくれた人に恩義を感じるものであり、

 (提示しただけに過ぎないのに)

 

 組織内であれば、忠誠とまではいかなくても、

 依存心に似たものを芽生えさせてしまう。

 

 そこで、知らず知らず、

 ワタクシに求心力つく事になってしまったのだろうと思う。

 

 凡庸な人間個人の資質に頼って、

 全てをかけるのは危うい。

 

 そういう意識があったし、

 

 能力の基礎を提示した事に感謝されるのはいいとしても、

 依存心を受け付けるのはいけないと思っていた。

 

 なぜなら、

 依存心が芽生えてしまうと、

 本当はかなりの資質の者でも、

 業務を逐次的にやり遂げる人材にしかなりえない。

 

 それは、

 少なくとも飲食業においては

 才能の無駄であると思っていた。

 

 

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社員に必要なのは、

決められたことを正しく行う能力ではなく、

為すべきことを発案して判断して

それを決断して為す能力。

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 その能力を持ったら、

 組織的なリーダーシップは

 限りなく小さい範囲で発揮するだけで済む。

 (社員各人で済む)

 

 しかし、今思うと、

 そこに標榜するネガベ組織を構築する上での陥穽があった。

 

 為すべきことを発案して判断して決断して為す能力。

 

 そういう能力の基礎は、

 周囲の優れた人からも、本からも容易に手にできる。

 勉強の対象がトップや上司である必要はない。

 あとは実践しながら、自分のやり方を探っていく事だ。

 (むしろそっちが大事)

 

 毎日が本番であると同時に、

 毎日が実験なのである。

 

 

 

→つづく