先日、二月とは思えない陽気の中、東京都現代美術館を訪れました。
当ブログではお馴染みの同美術館。
昨春のリニューアルオープンを、どれほど心待ちにしていたことか。
さて、今回の目的は「DUMB TYPE - ACTION+REFLECTIONS」という展覧会。
僕としては、開催がアナウンスされた昨春から楽しみにしていた展覧会なのです!
なんでも、昨年12月には高谷史郎、坂本龍一、浅田彰各氏を迎えてのトークセッションも行われたとのこと。
どんな内容だったのやら、行けなくて残念・・・
まずは、DUMB TYPE(ダムタイプ)について説明しておく必要があるかも知れません。
実は僕も全く詳しくないのですが、美術、建築、音楽、演劇、ダンスなどを融合したマルチメディア・アーティスト集団といったところでしょうか。
1984年、故・古橋悌二らを中心に京都で結成。
以降、様々な分野のアーティストがコラボする不定形な集団としてワールドワイドな活動を展開。
テクノロジーと人間の軋轢、そして現代社会が抱える諸問題に鋭い批評精神で挑み続けている・・・
などともっともらしく書きつつ、言葉ではおよそ実体を伝え切れないのがDUMB TYPEのDUMB TYPEたるゆえんなので(笑)、興味を持った方は是非とも東京都現代美術館を訪れてみて下さい。
(2月16日まで開催。)
僕とDUMB TYPEの出会いは、1990年代半ば。
当時、渋谷ロフトのWAVEにインダストリアル系、テクノ系のアングラ音楽ばかりを集めたコーナーがあって、足繁く通っていたんですよね。
TEST DEPT、 IN THE NURSERY等のCDは、みんなここで買い揃えました。
あと、「音響派」と呼ばれていた音楽も。
(まだ「エレクトロニカ」という言葉はなかった。)
で、そのコーナーにDUMB TYPEのCDも陳列されていたわけです。
当時はDUMB TYPEがなんなのかすら分かりませんでしたが、スタイリッシュなアートワークと80年代のニューアカっぽい(笑)インテリジェンスに惹かれて、何枚かのCDを買いました。
DUMB TYPEはもちろん、山中透、池田亮司ら関連アーティストの作品も。
写真は当時購入したCD。
パフォーマンス用の音源集ですが、楽曲のみでも結構楽しめます。
サンプラーやデジタルシンセ主体のアブストラクトな電子音楽で、坂本龍一「未来派野郎」や如月小春「都会の生活」あたりの感触に近い。
ふと、「都市の環境音楽」という言葉が思い浮かびます。
決してノイジーではなく、むしろ小綺麗でポップなサウンド。
80年代半ばの空気感が伝わってきて、個人的には好きです。
デジタル全開なのに叙情的というか。
ちなみにDUMB TYPEが活動を始めた頃の京都って、EP-4やURBAN DANCEといったニューウェーヴバンドたちも虎視眈々と東京を狙っていたんですよね。
あながち偶然ではなく、その背景には「YMO環境」とも呼べる文化状況があったと思います。
80年代初頭のYMOブームは、折からのニューアカデミズム・ムーブメント(専門家ではない人々が専門知を語る状況)と呼応し、音楽、思想、言論、美術、演劇等の担い手たちのボーダーレスな交流を促しました。
ある意味、DUMB TYPEこそはポスト「YMO環境」を象徴する存在だったと言えるかも知れません。
では、展覧会の模様を紹介。
35年に及ぶDUMB TYPEの軌跡を追体験できる内容になっています。
一部の展示物を除き、「スマホのみ」という条件で撮影OKでした。
“Playback”
1989年に制作されたインスタレーションのリメイク作品。
16台のターンテーブルが、異なる音楽、異なる音声を奏でるというもの。
整然と並んだターンテーブルが、もうそれだけで魅惑的ですよね。
現代のネットワーク社会をテーマにしているとのことですが、テクノロジーが持つ無機質な美という側面も感じられます。
“TRACE/REACT II”
真っ暗な展示室へ足を踏み入れた途端、四方の壁、さらには鏡張りの床から言葉の断片が驟雨のごとく降り注ぎます。
平衡感覚が麻痺し、思わずよろけそうになりました。
まるで宇宙空間に放り出されたかのよう。
ふと「過剰なまでの情報社会で、我々の実存はこのようにも足元の覚束ないものなのかも知れない」と考えさせられます。
“MEMORANDUM OR VOYAGE”
DUMB TYPEの過去作品をリミックスしたビデオインスタレーション作品。
おびただしい情報量の映像がスクリーンに投影されますが、いかにも池田亮司っぽい電子ノイズとの相乗効果で、妙に安らぎます。
これは気持ち良い!
“LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE”
DUMB TYPEの代表的パフォーマンス「S/N」等で使用されたビデオインスタレーション作品。
人間存在にまつわる根元的なワードの数々がLEDパネルに表示され、見る者に哲学的思考を促すかのようです。
“pH”
手前の構造物(トラス)は、パフォーマンス「pH」の舞台装置を再現したもの。
コンピュータ-制御で前後に移動するのですが、速度が不規則に変化するので足をすくわれないように注意!
蛍光管の明滅と「ブチブチッ」というグリッチノイズがシンクロするあたり芸が細かい。
こちらは、フライヤー等の資料。
オシャレですよね~!
思わずコレクションしたくなります。
というわけで、ざっと紹介してきました。
DUMB TYPEならではのクールな情熱が伝わったなら良いのですが。
それにしても、どの作品も理屈抜きでカッコイイ!
アートというと頭でっかちなものになりがちですが、目と耳でダイレクトに楽しめるのが本展の良いところ。
「DUMB TYPEって難解そう~」と思っている方こそ、まずは体感してみて欲しいです。
一方、本展を通じて現代社会が抱える諸問題も再認識させられました。
例えば、“pH”では「事実/虚構、公/私、攻撃/防御、男/女、外/内 etc.」といった二項対立の図式が提示されます。
これらの対立は、今日の社会においてますます激化するかのようです。
コンピューターネットワークの急速な進化は、コミュニケーションの可能性を劇的に高めた反面、人々の対立と分断を煽る装置としても機能するようになりました。
フェイクニュースが蔓延し、客観的事実よりも自分の主観や感情を正当化するための情報に重きを置く「ポスト・トゥルース」時代の到来。
このディストピア的状況を、DUMB TYPEが産声を上げた35年前に誰が予測し得たでしょうか?
しかし、せめてもの救いと言えるのは、本展が若い世代の来場者で盛況だったこと。
それこそ、古橋悌二が亡くなった1995年には生まれてすらいなかったような若者たちが・・・
あるいは他の企画展のついでに立ち寄っただけなのかも知れませんが(笑)、僕としては希望のようなものを抱かされました。
近年、世界中で若者たちが声を上げ始めています。
地球環境の危機に対して、あるいは民主主義の危機に対して、あるいはマイノリティー差別に対して。
本展が若者たちの心にさざ波を起こし得たなら、日本もまだまだ捨てたもんじゃない・・・
なんて思うのは、いささか楽観が過ぎるでしょうか?
ああ、僕もジャンルや世代を超えたボーダーレスなコラボをしてみたい!