今回は、久々の龍一伝であります。
公約のシンセ特集は、必ずやりますのでね。
(最近は音源系のプラグインに対する関心は一段落し、もっぱらエフェクター/ミキシング系のプラグインにハマっているのですが。)
先日オンエアされたNHK「ファミリーヒストリー」の坂本龍一さんの回、非常に興味深く拝見しました。
坂本さんのお父さんが三島由紀夫や水上勉の作品を手がけた編集者であることは有名な話だけど、4代前までの先祖は福岡藩・黒田家に仕えていた足軽だったとは。
ドキュメンタリー映像の冒頭で立派な城跡や城下町が映し出され、神妙な面持ちで見ていた坂本さんですが、やがて人里離れた寒村の映像に切り替わり「先祖は国境(くにざかい)を警備していた足軽でした」と明かされると「(こんな寂しいところに住んでいるのは)足軽だと思ったんだよ!」と残念そうに言い放つ姿に爆笑。
でも、明治維新後に曾祖父が財を成し、今日の坂本家に至るわけですからね。
かえってそういう出自の人の方が、ハングリー精神や時代の変化に対する適応力があると思うんですよ。
坂本龍馬(紛らわしい)もそうですし。
「家」だの「伝統」だのといった虚像に、これからの日本社会、これからの時代を生きる人々は固執してはいけません。
そういや、「ファミリーヒストリー」では過去に矢野顕子さんの回も放送されましたけど、それによると矢野さんの先祖は会津藩士で、鶴ヶ城に立て籠もって新政府軍と戦った生き残りでしたよね。
坂本さんの先祖とは敵味方の間柄だったわけで、道理で・・・
なんて話はともかく(笑)、坂本さんのお父さん・一亀さんが若い頃に徴兵されて中国戦線へ送られていたという事実には驚きました。
御本人はたまたま本土決戦のために呼び戻されて終戦を迎えたんですけど、戦友たちの多くはシベリアの収容所へ送られて亡くなってるんですよ。
驚いたというのは、僕の母方の伯父も、まさに同じ境遇だったからです。
徴兵されて中国戦線へ送られて、シベリアの収容所で亡くなって。
年齢も、一亀さんと同じくらいだったんじゃないかな?
番組の中で坂本さんは、「もし父がシベリアへ送られていたら自分は生まれていなかっただろう」と語っていました。
で、生き残った一亀さんは「シベリアで亡くなった戦友たちのためにも」という思いで、戦後は編集者として若い世代の作家育成に心血を注いでこられたそうなんですよ。
その思いに、何よりも感銘を受けました。
英霊がどうのこうのといって靖国神社参りをする戦後生まれの政治家たちに、果たしてそういう切実さが少しでもあるでしょうか?
お父さんとの確執は坂本さん自身がこれまでにも色々なところで述べていますが(YMOの人民服コスチュームを目にして「お前をピエロにするつもりで芸大へ行かせたんじゃない」はあんまりだ、細野さんや幸宏さんに対しても)、お父さんが坂本さんの作品や出演していたテレビ番組・映画を逐一チェックしていたという逸話には泣かされますよね。
本当に「ピエロ」だと思っていたら、そこまでしないでしょう。
(ピエロはピエロで才能を要する立派な職業ですけど。)
やっぱり、内心では「すごいやつだ!」と認めていたんじゃないでしょうか。
その点では、宮沢賢治・政次郎父子にも通じるものがありますね。
同じくNHKで去る3月10日にオンエアされた「津波ピアノ ~坂本龍一と東北の7年~」にも、大変感銘を受けました。
特に、津波被害に遭った高校の体育館で「津波ピアノ」を弾くシーンね・・・
もう、胸に迫るとしか言いようがありません。
その時点では「死んでしまった」と思っているピアノに、「おい、なんとか言ってくれよ!」と呼びかけているようで。
「津波ピアノ」をアート作品として蘇生させる取り組みに坂本さんが執心したのは、やはり御自身の闘病体験が作用しているのでしょう。
津波を被って「本来の」ピアノの音がしなくなったピアノを、「自然の力で調律し直された」とする発想には目から鱗ですよね!
肝心の展覧会を残念ながら僕は見逃してしまったので、また何らかの機会に展示してもらえないかな~と思っています。
坂本さんには体調に気をつけて、いつまでも元気に活躍し続けて欲しいものです。
(ここまでの写真は、昨年開催された「坂本龍一 async展」から。)
番組の内容に関連して、蛇足ながら我が家の「ファミリーヒストリー」についても書かせて下さい。
写真は、我が家の近所にある「中丸山の古戦場(旧・在日米軍上瀬谷通信施設跡地)」の案内板。
15~16世紀の戦国時代、この地を治めていた扇谷上杉家と小田原の後北条家が二度に渡って合戦を繰り広げた場所であります。
話が長くなるので割愛しますけど、この「中丸山の古戦場」で扇谷上杉家が敗北したことが、越後上杉家の成立に繋がっているのです。
僕の先祖は江戸時代になって「もう武士はウンザリだ!」と親子二代に渡ってごねたあげく商人となり、曾祖父の代には浅草で和菓子屋を営んでおりました。
祖父の代になって横浜へ移ってきて店を開いたんですが(今でも元町商店街に残っています)、昭和30年代に店を次男に譲って(前述のように長男はシベリアで亡くなったので)この地に居を構えたのです。
そして皇太子御成婚の際に自宅前の野境道路に桜を植えて、それが今日の桜並木になった・・・
という話を当ブログで紹介したことがあったかどうか記憶に定かでないのですが(笑)、この野境道路こそ「中丸山の古戦場」で敗れた扇谷上杉家の軍勢が逃げ延びたルートなのです。
先祖とゆかりのある人々が命からがら辿った道を(途中で亡くなった将兵もたくさんいたでしょう)、桜の花で飾るとは・・・
おそらく祖父は、そういった歴史的経緯を全く知らなかった筈ですが、それだけに慄然とさせられざるを得ません。
まあ、真偽の確かめようのない数百年前の話はさておき・・・
浅草の和菓子屋がどうなったのかとか、横浜大空襲の際に一家はどうしていたのかとか、知りたいことはたくさんあるんですよね。
でも、あらたまって尋ねるのって、なんか決まり悪くて。
それに、こういう話に唯一詳しそうな伯母が数週間前から重篤で、会話すらできない状態だったんですよね。
一昨日のことですが、ちょうど「ファミリーヒストリー」の録画を見終えた直後に、母から「さっき亡くなった」と知らされまして。
家族の歴史を聞かせて欲しかったというのもあるんですけど、元気なうちに顔ぐらい出しておけば良かった・・・
と、後悔しています。
ではでは!(^-^)ノ~~~




