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めろんぱんなのブログ

宝石たちみつけよう

今日は記憶を遡ってみる。

 

 

私の

一番初めの記憶は、

恐らく0歳の頃

 

母親に抱きかかえてもらっているとき。

私はきっと夜泣きをしたんだと思う。

 

 

母はとても優しくて

たくさん声をかけてくれていたね。

 

心地よくて

幸せをいっぱいに感じていたよ。

 

 

 

 

私が産まれた場所は、

本当に山奥で、

 

意識がうまれた頃は

2歳半の頃。

 

歩けるようになってから

やっと物事を考えられるようになったんだな。

 

あの時、

身体と私は上手く繋がっていなくて

身体という着ぐるみの中に居る感覚。

狭くて苦しかった。

 

身体とたくさん話をした。

 

ここはどんな場所なのか

どんな風に生きたらいいのか

 

身体はとても冷静で

冷たくも感じた。

 

ここに居るなら

ここのやり方に沿っていかないと

淘汰されるよ。

そんな雰囲気のイメージをたくさんくれた。

 

ちょっと納得できないことも

たくさんあり喧嘩もしたけれど

何が起こるのか

なんとなくだけれど理解して、

 

あの時、

全てを受け入れる覚悟をしたように思う。

 

 

 

 

それから5歳までは

とても自然に囲まれた美しい場所で

守られて育ったと思う。

 

今思うと変な絵をたくさん描いていたな

人間の頭に家がある。

今思うと、地球と人間の関係性を

描きたかったのだと思う。

絵を描くことも大好きで

自然と一緒に遊びを考えることも大好きだった。

 

いつも木漏れ日を探して冒険もした。

 

カブト虫を育てたりもした。

 

森の中に

私の好きなスペースがあって、

秋になるとたくさんの落ち葉で

ふかふかのベッドになる。

蔓が丁度良い場所に降りていて、

それを遣ってターザンごっこする。

落ちてもベッドの中にダイブするから

本当に安全で、

守られている感覚があった。

あの場所が大好きだった。

 

5歳のときに

引越しをするちょっと前に

 

いつも遊ぶ小川の近くに

大きな岩があるのだけど、

 

ある日夕方の日の沈んだあと、

なぜか気になって外に出たら

大きな青蛙がいた。

 

よくよく思い出すと

あの小川でいつも遊ぶときには

雨蛙たちがたくさん産まれて

成長を観察していた場所。

雨蛙が大好きで、

たくさんの雨蛙の囲まれて幸せだった。

 

あの小川の前に

夜の薄明かりで見づらかったけど

恐らく直径1mくらいの青蛙がいた。

大きいのに全然怖くなくて、

珍しい大きい青蛙に嬉しくなってた。

 

近くで見たら逃げてしまうと思って、

5m先くらいで思うままにしばらく見つめ合ってた。

 

その後、引越しをしてからは

なかなか前の家には

戻らなくなってしまったけど、

定期的に行きたくなってた。

 

でも戻れるようになった頃には

私の好きな場所はなくなっていて、

あの時の様な共存した自然では

なくなってしまったように感じて

心にぽっかり穴が空いたように寂しくなった。

私は大人になってしまったのかもしれない。

でもそこには

自然と人間は乖離されてしまった様な感覚も感じていた。

 

 

 

大きくなってから、

様々な思い出のお話を

祖母から教えてもらったけれど、

 

元々お嬢様だった祖母は

どうしてあの場所に住むことになったのか。

たくさんの紆余曲折を聴いた。

 

太平洋戦争時代。

祖父との結婚は、

赤紙を受け取った

祖父を救うためにしたことだった。

 

海軍として派遣された祖父を

祖母は戦時中

横須賀製鉄所で働きながら待っていた。

 

終戦1945年8月15日

祖父は還ってきた。

お腹に傷を抱えてはいたけど、

五体満足で還ってきた。

このことは、今思うと

本当に奇跡に近いくらいの

素晴らしいことだと解りました。

 

しかし、

当時の東京は焼け野原で、

本当に唖然としたと。

 

それから、

あの場所に身を置いて

本当に自然しかなくて

大森林でその自然と格闘しながらも

その時の仲間と開拓を始めたとのこと。

 

その時も

あんな田舎に身を移したことを

身内には大ひんしゅくされながらも

44年間も自分達の力だけで

農業や家畜を飼って、

生活拠点として築き上げてきた場所だった。

 

本当に大切なものは

単純でシンプルかもしれない。

 

朝起きて

大切な人と

必要最低限で

自給自足で

自分達の力で

生きる。

 

私の祖母は

毎日毎日生きていることに

感謝をする方で、

本当に今が有難い、有難いと言っていた。

私はそんな祖母が大好きで、

何度も何度も当時のお話をしてくれて、

私に対してもとても大切に

愛情を必要な分だけ

もらっていたのだと気づく度、

涙が溢れてきます。

 

その素晴らしい場所を

つくってきた祖母と祖父。

私が産まれてから直ぐに

祖父は亡くなってしまったけれど、

祖母はきちんと大切な真を教えてくれて

本当に感謝しかありません。

 

あの時の素晴らしい自然との共存。

忘れないでいくことを教えてもらっていたと

今書きながら忘れていた気持ちに気づいた。

 

私が小学生になって初めて観た

『風の谷のナウシカ』

この物語が直感的に胸躍らせたのも

自然との共存。

ナウシカの大切なものを守る意志の強さ。

覚悟を持ち続けていくブレない心。

憧れだけでなく、

やり通す自分でありたい。と

小学3年生の頃に忘れないようにと

当時のビデオテープ(VHS)に録画したものを

宝物BOXに入れた記憶がある。

 

必ず、今のままでは

あの様な窮地に

辿り着く可能性が高いと感じていて、

胸騒ぎしていた。

 

過去の功績をつくってきたけれど、

本質的には

仁義の国、日本であると思う。

その心を繋ぐことは

忘れてはいけない歴史を通して、

原点を胸に刻んでいかなければ、

過去の英雄の方の想いは

どこにいってしまうのだろう。

無意味にしたくない。

 

今の日本では

素晴らしい人材の宝庫なのに、

何故か今は皆がバラバラな方向を

向いている感覚がある。

 

大切なものは身近にしかない。

自分の財産に気づかないと失う。

 

毎日、毎瞬間。

取捨選択を繰り返しているけど、

方向性をもっと考えていかないと。

まずはそこから考えてみる。