先日11/11に
アートイベント・デザインフェスタvol48で
友人の知人が出店者として参加していると伺い、
来場者として参加させて頂きました。
designやartについては、
以前就いていたGraphic designの仕事での経験、
私の人生で自分の中の思考手段や表現としても
とても重要で大切にしているものの一つとして
そこから繋がってきた尊敬の念を抱く諸先輩方に重なりも多くあり、
繋がりの深さを感じていた分野なので、
出店者の皆さんのinspirationから学びを得ることできる
とても素晴らしい機会に楽しみにしていた時間です。
東京ビックサイトの規模の大きさも然ることながら、
約5000ものブースでの展開を擁するイベント。
回りきれるかと思いつつ、
その中で何を読み取って、
吸収できることがあるのか抱きながら
足を運ばせて頂きました。
先ず、
Aエリアから順番に廻り始めましたが、
順番に巡っていると、様々な作品がある中でも
最初に目にとまったのは、
アンティーク調の革の鞄の中でディスプレイして、
味わい深さのあるイラストが載っている作品の展示に
心動かされました。
よくよく見ていると、
以前、
足繁く通っていた革製品を販売しているお店で
配布していたリーフレットの素敵なイラストを手がける
illustratorの方だったということが解り、
当時とてもお会いしたいと強く思っていた方だったので
思わぬ嬉しさに吃驚してお声かけしてしまいました。
とても低姿勢で丁寧にお話してくださる方で、
お話しているとその丁寧さと誠実さは
自分の好きなことを真っ直ぐに
信じることをひたすらに貫く姿勢で
奢らない謙虚な姿勢に繋がっているのだなあと
心意気に感動してしまいました。
そのあとも
様々な展示を見ていると…
思いもよらないものから
私もこんなものが欲しかった!と思うものまで。
そこの同じ場に居るだけで、
製作者の意図は言葉にしなくても
伝わってくる様々な差異を
各所から感じられたように思いました。
全ての出品者の方の
情熱に胸が熱くなりながらも
本当に十人十色で、
その幅に学ぶことだらけで、
感慨深い気持ちで観させて頂きました。
様々な方とコミュニケーションをしながら
伺いながら見ていると、
その膨大な数々の作品の中でも
多くの方が興味を示す作品たちを
発信している方を見かけます。
その方々の展示に
共通していることが、
・モチーフ
・表現方法
・精度
・展示の見せ方
・販売姿勢
この全てをバランス良く
持ち合わせているように思いました。
その作品の『モチーフ』として
決めたものは製作者が何に
心動き、美しく感じているのかが
現れているもの。
『表現方法』は、
その美しさをどう表現すれば、
最高の美しさを引き出し形にできるのかを
感じて考え尽くした姿勢。
その『精度』は、
全てが自由でいかようにも
自分次第で手を掛けることのできる中で
製作者がどこまでその作品に向き合い対峙し、
ディティールまで丹念に視て、手を尽くす。
精魂込める気持ちと心砕き突き詰めてきた結晶。
『展示の見せ方』で、
自分の中にあるものが、
他から見る客観的な視点を持って見ることで
どこまで寄り添ってもらえて
理解・共感できるように魅せようとしているのか。
感動を共感できるものに誠意を持って
仕上げようと尽くす想い。
『販売の姿勢』
これは芸術に携わる方にとって、
一番と言っても過言ではない程に
とても懐疑的に思われがちな点だとも
常々感じることが多いのですが、
”作品を売る”ということは、
”自分をどれだけ大切にしている”のかが
垣間見える瞬間として感じる点でもありました。
私も明確な答えが出ずに
曖昧に思える部分でしたが、
素晴らしさの強い衝動を感じたことで見えてきたのは、
自分で物をつくり上げた価値を大切に考えた先に、
その作品が相手にとっても価値のあるものとして
共に対等な視点で考えて発信しているのだろうと思います。
心の温かさを感じるから
心揺さぶられたように感じて嬉しく思いました。
その全てが絶妙に織り成し、展開したとき、
製作者の中にある”最高のもの”を
自分だけで留めておかずに
共感して承認し合って良きものへ繋げていく思想が
心意気として体現されたときに
周囲には自ずと伝わってしまうものなのだなあと
思わず感嘆しまいました。
そこで、
感動した気持ちから
様々な感情が溢れ出していました。
私の中では、以前から
長年”ビジネス”に対して
懐疑的な意識を抱いており、
”お金を稼ぐ”ことに対して、
正直、消極的な考えのもとで
結果を出すことに
億劫になってきた過去のことが
大きく一つ横たわっております。
世間で言われていることや
友人には
「好きなことを仕事にした方が良いよ」
そんな言葉もたくさん耳にしてきましたが、
好きなこと = お金を稼ぐこと
この図式は
どうやったら自分の手で
具現化できるのか
どうしても繋がらず、
その”好きなこと”という漠然とした言葉の
本質的な意図が理解できずに、
浮遊した思考が常に蔓延して、
腑に落ちずに今までずっと考え続けていました。
更には
”お金とは良くないもの”という意識が根深くありました。
それは、昔から私の家庭では、
「お年玉をもらったら、喜んではいけない。」
「お金をもらったら申し訳なさそうにしなさい。」
そんな言葉から、とても窮屈な気持ちが芽生えました。
お金を多く持つことは、
世間的には嫉妬心を仰ぐことになり
時には、
自由に居られなくなってしまうのではないか
といった漠然とした思いがあり、
その靄のような”お金とは悪”の認識が
意識の奥底に渦巻き、
そのことで迷いをつくり出し、
行動もできずに悩み続けてきただけの
自分になっていたことに
最近になってやっと解りました。
その為、
二の足を踏んでしまい、
自分に価値を見いだせず、
その場凌ぎの仕事を
してきてしまっていました。
自分の価値とは何だろう。
自分は何をしたいのだろう。
その思考要因の一つになっていて、
この思考を延々と繰り返していることで、
結局は、
常に自分に自信が持てない状態になる。
この思いを払拭したくて
様々な環境や出会いから
新たな視点・発想を得たい気持ちがあり、
過去に
様々な仕事を経験してきた要因に
なっていることも思い出しました。
延々と悩み続けて、
今だに何者にも成れていない自分は
いたずらに時間を消費している喪失感と
やるせない気持ちで
最近まで焦っていた自分でもありました。
しかし、
様々な場所に所属させて頂き
身を置くことで
日本という小さな”社会”でビジネスにおいての
一般常識とした無言の共通認識を
肌身に感じたことで
新たな見識を得られた部分もあったとは思います。
しかし、
社会という団体の中で
”常識”という流れに入ったとき、
各場面でバランスを取ることを
強いられるときがありました。
”自分の意識”にある、
信条や善悪の認識は
周囲に合わせていくことで成り立つ。
そんな場面に対峙したときには、
自分を抑え、周囲の流れに
合わせる行動に繋がり続けました。
今思えば、
自分を抑える方向へ繋がることは、
自分の選択した会社や企業の
”場”を選ぶことに対しても
自分を主体として考えられない
未熟さや知識のなさによって、
誤った選択をしてしまったことも
あったのだとも思います。
しかし、
ほとんどの会社の方向性は
根底には”本質的な豊かさ”以上に
”お金を稼ぐこと”に重点を
置いていることもあるようにも感じていました。
最終目的地は、
”全ての人の豊かさ”を求めていくことが理想。
そのような意識が
自分の中にはありましたが、
それも当時の自分を思うと
綺麗事だったと今では思います。
自分を抑えることで、何を大切にしたいのか、
何をすることが
本来全ての人の豊かさに繋がるのか、
具体性を見失ってしまっていたために、
目的から離れてしまったことも
後から気づきました。
私にとって芸術という分野に対しては
昔から心と体に馴染むようなものを感じていましたが、
その時に芸術の意味は、何も理解できていなくて、
自己満足の塊の様なものと
感じてしまっていたように思います。
今回は
多く方が発信する
アートに触れる機会を通して、
私にとっては、
幼心も思い出す
原点回帰の様なものでもあり、
同時に
新たな価値を生み出し、
素晴らしい”仕事”とは何かという点でも
大変多くのものを学ばせて頂けて、
希望に変わったと思います。
私が延々と考えてきた
”好きなこと”という
漠然的な言葉の意味の一つには、
自分の”信条”という側面もあるのかもしれません。
それぞれが、
それぞれにしかない
唯一無二の人生で
一瞬一瞬の判断をして経験を
積み重ねてきている。
幼少期のころでさえも
保育園のころなんかだと、
産まれてからほんの3年の短い時間で
同じ年齢で同じだけの時間を
経験しているはずなのに
なぜか他の子とは違う感じ方や
思考を持っていて行動も違っていたと思います。
自分歴史の中では、
常に自分が主人であり、
自分に指示を与えるリーダーにあって、
その瞬間での判断基準には
経験に対して、
自分にしかない反応する
感受性の中から紡ぎ出した信条が
一つの行動基準にもなる。
その信条は、その場の状況に合わせて
柔軟に形を変化させて行動していくことで
自分という認識を強めていく。
そう感じられました。
それは、
まず自分が
何か新しいものに出会うときには
”個の感受性”を遣って
呼応する”反応”がうまれる。
その経験によって
”大切にしたいもの”という
信条がうまれる。
信条は、持ち続けていくと
”意志”という強固なものになる。
全てが合わさることで、
他の人に見えない、
人としての”基盤”になる。
その基盤を遣うことで
”判断力”が備わり、
決断することができる。
それが他から見ると
客観的な”個性”と映り、
行動として結果にするからこそ
他との繋がりでは
深さ・濃さが増していき、
最終的に総合的に振返り、自分の意志で確認することで
自分で自分を認識することになるのかもしれません。
きちんと自分自身が理解し、
納得する生き方ができているのか。
確認する作業になるのだと思います。
その全てが絶妙に回転していくと、
一本の矢の様に、
風の抵抗を受けずに
迷いなく真っ直ぐ目的に向かって
進むことができる。
その結果を積み重ねていくことで、
自分を信じられるようになる。
”自信になる”
その全ての段階を
”順番”に行うことがとても大切で。
一つでも否定したり、見たくないから抜かしてしまったり、
自信がないからと言って納得できないまま誰かの生き方になぞらえた行動をしたとき、
いつかどこかで立ち止まらずを得なくなる。
よく聴く言葉の一つに
”ひとつも無駄なものはない”と言う
意味も理解できます。
その全てを揺ぎのない自分の意志で実行していくことで
実りの多い経験として蓄積できるのだろうと思いました。
今までたくさんの経験をさせて頂いた
全ての方に感謝と畏敬の念を伝えたい気持ちが溢れました。
本当にありがとう。
自分を思い出す為に
また走り出したいと思います。