私は5歳の頃のある日、
スーパーで買い物をして
お釣りを貰っている母に言いました。
「お母さん、お金が増えたね」
母は、
「増えていないよ、お金が減ったんだよ」
私は、そのとき
現実のお金が増えたことを
言いたかったのではなくて、
お札が細かいコインに変わったことを
見て感動して出た言葉でしたが、
母はその気持ちには気付いてもらえませんでした。
今の私から思っても言葉足らずで、
わかるはずもなかったと思います。
それでも
いつも「お金がない」と言う母の口癖。
お金がないって言ってほしくないから
笑って欲しくておちゃらけて出た言葉でもありました。
そんなに
母を悲しませる
お金。
どうしても
理解できないと感じました。
本当に必要あるのだろうかと
思っているもの。
今29歳になっても
模索していることでもあります。
そして
仕事
で利益というお金を得る。
この構造がどうして必要なのか
理解ができなかったです。
生活をする上で、
皆が好きでもない仕事をして
お金を稼がないとご飯が食べられない。
私の家庭ではそんな空気でいっぱいでした。
そんな状態にしてしまう
仕事は苛めのような
酷いことだと感じてしまっていました。
同じ地球の環境にいて
同じ食材を身体に入れるはずで
同じ身体で構成された構造体で成り立っている
その同じ条件で生きる人間であるはずなのに
その諸先輩方が考えるシステムであるとしたら
このお金を稼ぐことは
誰かが何か大切な意味を持って
つくっているのだとしても
何の意味があるのだろうと
考えても考えても理解できず
大人になることが
怖い思いばかりが募っていた記憶があります。
大人になってからは、
このお金をどう捉えたら良いのか。
社会経験を通して理解しよう!と思っていました。
まず、
私は大学への進学は一切視野に入れていませんでした。
なぜなら、
人生は短いからこそ
知識は後で勉強すれば良いから
早く経験をしないとという
考えにとりついて固執していたのだとは思います。
とにかく、早く社会へ出て
人との繋がりを増やしていこうと思っていて、
興味があるものはたくさんありました。
その中でも特に
モノづくりや創造活動を通してなら
技術を身につけられると感じた
某建築専門学校へ進学。
建築は、
空間内に佇むことが好きで、
その空間を自分でつくることができることは
多角的視点で物事を見られる視点を頂ける
素晴らしいことだと思い選択しました。
今思うと、
どんなものを創りたいのか。
私は心から作りたい建築物はあるのだろうか。
なかなか浮かばなくて、苦悩しました。
大変行き詰まり難航していましたが、
素晴らしい講師の方に恵まれ、
楽しく製作にあたることもできました。
学生生活は
学校とアルバイトをしてとにかく
経験をしようと意識して
忙しくしようとしていた記憶があります。
それも今思うと充実していて
非常に楽しかったです。
2年間という短期間で技術を習得するため、
課題も全てが短時間で仕上げる作業の繰り返し。
学生寮に皆で集まって、
夜通し何度も徹夜しながら
課題を製作していたことも
熱く語り合いながら
朝を迎えてしまったことも
今では素敵な思い出です。
今思うと一番時間を楽しめていたのは、
パースの水彩画と色鉛筆での着色。
パースの授業だけは
ほとんどAの評価を頂いたことを思うと、
私は絵を描くことや表現することが
本当はやりたかったんだなあ。と
その時も感じていたことを思い出します。
私は知識が浅くて未熟すぎた部分もあったかもしれません。
その意識のせいでなのか
就職活動はかなり難航しました。
焦りながらも
私の学校には
会社見学制度があり、
ある時見学に行った会社の社長さんの話を
聞かせていただく機会を得ることができました。
その日から、
翌日に学校へ電話をいただき、
大変ありがたいことに
面接などせずに
パース製作担当として
そのまま内定を頂くことができました。
クラスメイトが次々就職していく中で
最後の2人で決まり安堵した記憶があります。
新卒で入社後、
パース製作は学生時代の経験で
手書きで行うものと思っていましたが、
illustratorやPhotoshopを遣うことを知り、
初めてその様なソフトを使う
仕事があることに驚きました。
私の業務は
仕事をしながらソフトを学び、
つくった図表をMicrosoft officeに
outputする仕事がメインでした。
その他にも徐々にclientさんとの
やりとりまでもさせて頂くことも多くなり、
projectは1度に最大7本も並行することも多く、
皆で終電ギリギリまで、
時には徹夜して作業をする方もいて、
残業も非常に多かったですが、
projectが成功したときは
やりがいを感じられる瞬間も何度もあり、
社長も働いている仲間も
何もできない私でも
認めてくださって、
任せて頂けるその場が
嬉しすぎて大好きでした。
しかし、
多忙な職場であるからこそ
自分から辞めてしまう方も多く、
社長から直々に辞めて良いよと
言われてしまう方も多かったので
いつ辞めても良いよと
言われてしまうかもしれないという不安を
抱きながら職務にあたっていた記憶もあります。
あるとき、
私のチームの
プロジェクトリーダーが
社長の目を掻い潜り、
出張を長めにとっていることが
わかりました。
私の仕事や普段の行動も
全て監視され、
息が詰まり身動きが
取れなくなってしまっていました。
そのときは、
社長にも他のリーダーにも言えず、
我慢してしまったのだと思います。
その状況が続き、
休日も眠れなくなり
上手く休むことができず、
体調を崩し続けてしまっていました。
ある時、
全てを伝える勇気を出して伝え、
その方の下で働くことができず、
辞職を申し出たときに
私を「必ず守るから」と言ってくださった社長。
嬉しくて涙が止まりませんでした。
それでも
私は皆の和を乱してしまい
迷惑をかけてしまったことや仕事に支障をきたしてしまった
罪悪感から仕事を辞める選択をしてしまいました。
社長は「いつでも戻っておいで」と仰ってくださいましたが、
不安ばかりが募り、そのまま離れることになってしまいました。
今思うと本当に弱かったのだと思います。
それから、
illustratorやPhotoshopの技術を
伸ばすことはどうすれば良いのか
その時は知識がなくわからなかったため、
強くなろう、自立しようと思い、
学生時代に
アルバイトのリラクゼーションサロンで研修を経て
1年間技術を身につけたセラピストとして
更に精度を上げて目指してみようと考えました。
そこで新たな経験と経営の視点を
身につけたいと考えていました。
求人検索サイトに登録をして、
スカウトを受けたご縁あって、
整骨院で院長と2人で
新たに新規オープニングスタッフとして
採用をもらう機会を頂きました。
そこでは、
全ての業務を一任させていただき、
院長のサポートをしながら
技術を学びながら働かせて頂けたものの
院長の経営は
消極的なもので、
そのやり方は私にとって
疑問が沸き起こる連続でした。
金額設定に対しても
論理的分析がなく、
何も経験のない私に任せようとする行動や
情に流されて金額を下げてしてしまうこともありました。
そこには、院長自身に対しての
自信のなさを感じてしまうことに繋がりました。
更には、
患者様に対しても上から目線の様に感じる対応。
頼ってくださっていることに
慣れてくると沸き起こる感情として
人間の性なのだろうとは思いますが、
どんなときでも対等に考えられていないと
患者様とも対等な関係はつくれないとも感じていました。
しかし、
そこでの技術は本物であると感じました。
身体の構造を物理学の観点から理解し、
人間の治癒能力を最大限に引き出すことに
注視することで治療をすることのできる技術には
曖昧な”健康”に対しても理論がはっきりとしており、
尊敬ができ、その思考感覚を学ばせて頂いたことで
まだまだ未熟ながらも確かな確信も得られました。
一度来館され、治癒された方にあっては
患者様は信頼してくださっていることも実感しました。
特に強く感じられたことは、
不調や怪我、病気に対して必要なことは
まずはその方が本気で治そうという強い気持ち。
患者様として訪れる方は、
”先生に頼れば何でも治してくださるから行こう”と
思ってように感じられるいる方も多くいらっしゃいます。
しかし、
その様な方はどんなに手を尽くしても
何度も不調を繰り返してしまう。
治療という行為は、
どこまでいったとしても手助けというお手当てでしかなく、
どんな医療に関わる方でも
サポートをすることまでが仕事ということも学びました。
その患者様と自分たちにできることの差異に
正直、もどかしく思う気持ちもありました。
元々私ははっきりと言えない性格で、
言いたいと思ったことも相手へどんな影響があるのか
考え尽くしてからでないと発言できないこともありました。
そのために、
息を止めてしまう癖がついていたことは自覚していましたが、
”息を吐く”ことが上手くできなくなり、
”気管支拡張症”になりかけていることを指摘されました。
自分の経験と現場を通して最終的に感じたことは、
未病のような自覚症状のない不調から結果として病気になるということ。
それは経験を通して感じたことで確信となった様に思います。
どの様な症状も
自己の心理が重要なことに気づけたと感じました。
自分の経験からも繋がっていることも多くあり、
日常で些細なことでもふとした疑問や物理的な姿勢・体勢等を
大切にできず意識することなく我慢してしまい、
なおざりにし続けた結果として
自覚症状になって不調として身体は正直に危機反応を起こす。
一つだけの考え方に固執してしまう状態では
状況が悪化する一途を辿ってしまうことになることを重々に感じました。
心の不安・不満という何気ない意識にも
身体は反応をし、肩こりや腰痛等が続くと体勢や形状が変化を伴う。
食事でも同じものを食べ続けてしまったり、
刺激のあるものを欲することも意識深くでは意味があり、
身体はその刺激でダイレクトに影響を受け続けてしまうことでも
身体は悲鳴を上げはじめ、
バランスを崩してしまうことになります。
その状態を我慢をした結果が、
病気になることと思います。
そこには、自分を大切にする心遣いを
失ってしまった時に起こるものかもしれません。
そこで、
整骨院という場において
本質を発信することは重要性も実感していました。
しかし、
現在のその業界において
本質的な治癒の方法を提示している場所が
どれだけあるのだろうと考えて
どの場所を訪れても
私が知る限りでは
大変稀少であることもわかりました。
素晴らしい技術であることが
間違いないことであるのに
最終的には経営に対しては、
設定をもっと考えていければ良いのではないかと
何度か相談や改善を申し出ましたが、
「経験もないのにわからないだろう」と
深い洞察や理論を提示いただくことはなく
一蹴りされるばかりでした。
思考方向性の相違に対しての歩み寄りや共有をする姿勢。
お金を頂くことに対しての学びが頂けなかったこと。
その状況が続いて3年を境に力添えできないと
思ったことに繋がりました。
そこで、
自分に嘘をつき続けることは
これ以上してしまったら
お手本であらねばならないのに
私が病気になってしまうと思ってしまったことで
最終的に辞職する選択へ繋がりました。
そして、学んだこと全ては
仕事としてお金を頂くこと以前に
まずは自分が実践・実験していくことで
体現できる状況へと目指すことが
私にとっては必要ではないのかと感じたため、
仕事という職としては離れようという気持ちになりました。
すべてを
健康や医療業界への感謝として
代えさせていただきたいと思います。
そこから、
やはり絵や表現をすることに集中をしていこうと
illustratorやPhotoshopを使用した場を探していたら
graphic designや広告業界等をメインにして、
主に使用しているということを知る機会があり、
未経験でもできるところを探していたら
ハローワークで見つけた会社へ願書を提出し、
面接させて頂き、
入社させていただいた
印刷会社でのgraphicdesignのお仕事。
1社目でも感じていたことですが、
designのお仕事においては
clientさんの要望に添えるものを提供する。
その先にある目的は
お店の商品や商材をどれだけ心に届くものとして
発信できるのかを突き詰めることを考え尽くす。
そこで、
技術の高さと的確な表現力次第で
clientさんからの報酬という名の
感謝の金額が変動することも
目の当たりにしました。
そのため
日々のスピードを上げながらも
精度を上げ続ける姿勢が求められました。
そのbackgroundでは
社内でのチームワークや
考え方の共有も
大変重要になるところだと思いますが、
実際には
常務が独走しているような状況に違和感がありました。
日々を重ねて伺っていくと
その独走を周囲が容認している状況が映し出され、
一つ上の視点から仕事を回しているような状況で
あったことが解りました。
そこで在籍されている方は、
それぞの方が自立できる能力や経験値があるにも関わらず、
”今が良ければ良い”
”この状態を維持できれば良い”
その様な考えの元で
在籍されている方が多いということも解りました。
正直、その時は
私自身のお給料も未経験ながらにして
以前よりかなり良かったと思える程
頂いておりまして、
今を生きるには十分すぎるほど頂いておりました。
その時には
それが当たり前にもなりつつあり
それでも足りない。
もっともっと多く貯蓄をしたい。
そんな意識も持ってしまって、
同時にアフィリエイトや副業というものに
興味を持ち始めました。
しかし、結果は全く維持できずに
辞めることになってしまいました。
ただ漠然とした”お金”という掴めないものを
つかもうとして抱いていただけだったことが解りました。
仕事自体は、ある程度
過去の功績を基に安定しているように感じましたが、
毎年収益は下降しているということも解り、
日々technologyの改新や世の中の動きが
目まぐるしく変化している時代にある今だからこそ
技術変革や新しい仕事への試みをしなければ
存続が難しいことも顕著に現されているようでした。
その時は、
どうにか常務の考え方を
一新できないかとも考えましたが、
常務1人だけでなく、所属している方の
それぞれが今しか視ていなく、
状況は変化することができてないことで
常務の行動はエスカレートし、
怒鳴り散らすような言葉や
特に急ぎでもない仕事でも無条件で
夜遅くまで残らされることも続き、
過去にも私の様な20代の子には
同じようにしていたとも伺いました。
自分がまだ新入りで仕事ができないから
働きかけも伝わらないのかもしれない。と
自分に言い聞かせて、
指示に従うだけの状況に陥っていきました。
それも
違うと感じながら
自分を責めるだけの日々でもありました。
しかし、
会社の向かう方向と私が目指す方向の相違は
時間が経つにつれ、明確に大きく離れていく感覚にも襲われました。
そこで、体調を完全に崩してしまう結果となりました。
うつ病の手前の様な状態にまでなり、
辞職せざるを得ないと感じる結果となってしまいました。
それから、
悩み苦しむ期間が続きました。
たくさんの本を読みあさりました。
そこでは
「好きなことを仕事にした方が良い」
「趣味を仕事にした方が良い」
そんなことばかりが連なります。
私の好きなことって何だろう。
私の人生で”好きなこと”に
感じたことをしてきたはずで、
その好きなことをしても
なぜか満たされない気持ち。
誰かの自伝や人生を記す書を
読ませて頂いて感動しても
結局はその方の人生で起こったことを
自分の人生に活かすためには
どうしたら良いのだろうと思いながら
不安な時間を過ごしてきました。
それから、
その好きをどう感じられるか
何でもやってみようと考えました。
まずは
自分で自分のことが
わかっていないのだとしたら、
誰かに客観的に見てもらえるヒントをいただこう。と考え、
転職エージェントに複数登録をしました。
そこで様々なエージェントさんとお話してみましたが、
結局自分がわかっていない私に紹介してもらえる会社は
履歴書を今までの経歴からみるもの。
これからの未来を考えるはずなのに
過去を見て判断されていることを感じました。
そこで、目に止まったのは
”転職を6回経験している”という言葉を掲げたエージェントさん。
理解して頂けることを思い
早速メッセージを送り、
お会いする機会も頂きました。
そこで紹介して頂いた企業は
大手の建築資材を扱う会社でした。
初めての大手企業に怯えながらも
面接に受かれば入社させて頂ける思いだけで
震えながら足を向かわせました。
そこでは4人の面接官がいらっしゃり、
緊張の中でも自分の今までの思いを
ぶつけてお話させて頂いたところ、
4人が満場一致で採用という結果を頂けたことを知り、
本当に嬉しく感じたことを思い出します。
実際に働き始めてからは、
研修制度もしっかりしており、
社内のシステムやチーム構成も考え尽くされた体制、
1人1人を大切にしてくださり、気にかけてくださる姿勢や
皆さんもやりがいを持って情熱を持って
働かれている姿に感銘を受けました。
しかし、
私にとって仕事の内容やその場所で
同じ様に情熱を持っていけず行動ができず、
大きな溝を感じてしまいました。
どうしてこんなにも最高に感じられる程の
恵まれた環境にいるはずなのに
皆が遠くに感じてしまうのだろう。
ある時、はっきり気づきました。
私はあのとき面接だけを考えていただけだったんだ。
その先など考えてもいなかった。
本当に皆さんに申し訳ない気持ちが増し
離れることになりました。
それからは
失敗で迷惑をかけてしまった経験を胸に
自分を感じて模索する時間が続きました。
派遣で日払いの仕事や
運送会社のアルバイト等
今を生きるだけの日々。
ある時、気づきました。
もっと自分から遠ざかっている。
強い目的もなく、
ただ行動するだけではいけないんだ。
自分の強い意志のないところで
繋がる出会いには
強い絆が生まれない!
愛情も生まれない!
本気の情熱なんてもっと生まれない!
言葉に覇気のない
強がっている自分しか生まれませんでした。
このままでは本当にいけないと
きっと視野が狭くなっているからかもしれないと思い立ち。
もっと広い世界へ目を向けることを静かに決意しました。
どうしたら世界へ近づけるのだろうと
考えていましたがわからなくて、
現状では、いきなり海外に行くという選択をすることは
自分の中で確固たる意志を固める自信がなかったので、
まずは
海外の方と触れられる場所を求めて、
派遣会社に登録をして
リゾートバイトとして仕事をしようと考えました。
スキー場のリゾートホテルを紹介して頂き、
勇気を出して行ってみようと直ぐに決めました。
その場所には、
私にとって今まで経験したことのない
新しい世界が待っていました。
素晴らしい大自然の中で
そこで働くスタッフは
スキーやスノーボード、山が
本当に好きだという気持ちが
熱く伝わってきました。
海外留学をしたことのある方々も多く
新しい視点を持って自由に旅をする方。
中国からの留学生と接する機会にも恵まれ、
遠く思えていた文化を身近に感じて
新しい考え方に刺激を頂いたり
その方々にとっては、
日本が大好きな気持ちにも嬉しくなりました。
冬の雪山では
オーストラリアや世界各国から
観光に訪れる方々。
多様性。
この一言に溢れていました。
そして、
その多様性を許容し、
包み込んでくれる環境が
幸せで仕方がなかったです。
私の原点でもある大自然の中に
身を置かせて頂いたことで、
忘れかけていた
心の穏やかさも実感しました。
接客業という観点でも
フロントや託児所等のお仕事を通して
オーストラリア、台湾、中国等
世界各国の観光客が訪れる場所。
そんな環境に全てが180度変わり、
毎日に衝撃で心が震えた気分でした。
私の知識のない
中学生レベルの拙い英語でも
必死になって伝えようとすれば
少しでもわかってもらえる。
本当に嬉しかったです。
お客様へのおもてなしや
私が何ができるのだろうと考えることも
心躍る経験になりました。
お客様から”笑顔”が
素敵だったスタッフへ投票を頂く
社内でのイベントがあり、
その中では、
約300人の中で
3位と2位という成績を頂き
2度も受賞させて頂けたことも
嬉しくて嬉しくて涙が出ました。
出会い・別れが止めどなく
続いていく日々でしたが、
1年間の契約で
今年の9月に帰省しました。
短い時間ですが、
そこで出会った仲間は、
一生モノの出会いになったと感じています。
同じ託児所業務をしていた年下の仲間は
元々オーストラリアに留学していて、
冬が終わってからまた戻っていったり、
心を開きあって夜も語り合った
ルームメイトの大好きな友達は、
ネパールの恋人へ逢いに
今も世界へ飛んでいます。
芸術家でアーティストの
台湾人の子とは
これから
一緒に世界へ行こうと約束して
目標を前に日々時間を
ともにしています。
他にも出会った
皆が様々な世界へ
旅立っていく姿は頼もしくもあり、
場所は遠くても
繋がっている感覚。
私が欲しかった心がそこにはありました。
現在は、
まだ人生の過程でもあり
旅の途中でもありますが、
私はこれまで紆余曲折、
知識もなく何も持っていない。
迷いながらも
手探りしていることも
社会的に成功しているわけでもないことは
正直恥ずかしいことで、
皆が好きなことをして
成功しているように見えることに
漠然と綺羅々して眩しく感じていました。
時には、
お給料だけを頂ければ良いと
考えてしまっているが故に
疑問を持ちながらも
何でも良いから
お金を稼がないと離れられない状況。
惰性で身を置いてしまっていた時間も多くありました。
そのせいで、
自分の心からどんどん離れていたことで
なぜか焦っていて、
苦しくて泣くことしか
できなかったことがありました。
その時は、
自分が何を感じていて、
どうして泣いてしまうのかも
理解できない自分だけでした。
そんな転職やtry and errorを
繰り返してきた私ですが
迷惑をかけてしまい
失敗してきた経験は
誰かが言う言葉に
疑問を抱いていることにすら
自信のないことで確信が持てずに
相手を傷つけたくない。
それは自分が傷つきたくない
裏返しでした。
耐えてきた部分も
自分で正当化していましたが、
全てが自分の思いに対しての
迷いが曖昧さを作り出し、
思いを貫けない自信のなさで
引き起こされていたことで
迷惑をかけてしまっていたのだと感じました。
私はこれまで仕事を通して
お金の稼ぎ方を知ることで
成長しようとしていたのではなく、
我慢をしていただけだった。
その時々で会社の為に
身を粉ににして働いていることが
謙虚さだと思い上がっていたことも
ただ遠慮をしていただけでした。
我慢と忍耐
は全く違うものなのだと。
我慢は
今が過ぎればいいという一過性の強さ。
それは、
次第に進む方向自体を閉ざしてしまうことになり、
忍耐は
進む方向を決めている中で
訪れる壁を乗り越えるために
必要な気づきを
与えてくれる努力かもしれません。
これまで
たくさんのチャンスや機会を頂いてきたのに
自分の方向性が曖昧だったことで、
意味を履き違えていました。
本当に間違った優しさを
振りまいていただけだったとも思います。
遠慮は
今を申し訳ないと思うだけの心遣い。
それは
行動をしてもらった相手にとったら
ある意味拒絶の様なものでもあるかもしれません。
謙虚さは
相手へ優しさが溢れ出して
自然と行動が出てしまうけれど、
目的はもっと大きな先にあって、
今したことはその一部である意識。
内包されている凛とした強さ。
その大切な強さの意味。
強さを抱けない時に沸き起こる
他の誰かの人生を羨ましく思う気持ち。
その中には、
小さな声で自分に呼びかけるサインが
あるのかもしれません。
その小さな気持ちを見つけた瞬間、
今ままでの迷いも明確になりました。
失敗も無駄ではないと感じられて軽くなれた点では
今は少しでも良かったと思えます。
まだ途中ではありますが、
私にとって人生を通して
大切にしていきたいこと。
”多様性を理解し、共に生きる”
このことに尽きるのだと
はっきり解り、実感しました。
しかし、
理解するだけでなく
それ以前に自分の意識を明確なものに
変えることも大切ということが解りました。
全ての行動において
共通することの一つに
気づいたことがありました。
「始める”動機・きっかけ”が
自分の本心に沿ったものであるのか」
ここへ行く。
これをやる。
その思いだけでなく、
どうしてそこへ行きたいのか
その先に何を求めていくのか。
自分の目的を明確に掘り下げる必要性。
そこには、
誰かの言葉や世間の目。
誰かのためにという意識を基に
動いてしまうと
ベクトルがその人に向かっていくだけ。
その後に起こることは、
結果は全て
その人や何かのせいでこうなってしまった。
私は本当はやりたくなかったんだ。
そんな意識へ向かうだけでした。
その様な状態になったら、
どんなに努力していても
結果を残せたとしても
喜怒哀楽が沸き起こらない。
感情が動かないことは
全て自分の糧にはならないんだと。
動機は全て自分から。
それはとても怖いと
感じることでもあります。
行動するまで怖くて
心臓が飛び出そうで、
誰かに寄りかかり、
すがりたい気持ちにもなります。
でも
実行した後に待っているのは
達成した自信満々の自分が浮き上がってくる。
苦しくて恥ずかしくても
良い結果でも
嫌な結果でも
全部受け入れられる様に
なれることなんだと。
その積み重ねが連なると
”直観”という判断力として
思考のスピードが
早くなっていくのだろうとも感じました。
私が経験した場所での教訓は、
それぞれの人が
自分のやりがいや思いに
沿っていくことを怖がって、
会社の為だけにやろうと
ベクトルを考えた瞬間から
会社のことなどどうでも良い。
その意識が
自分の今の利益のことしか
考えなくなってしまう状態に
なりやすいと思いました。
小規模な体制の会社が殆どでしたが、
少人数であればあるだけ、
1人1人の意識は全てを重くつくっていく。
その場所にいる時間が
長くなればなるだけ
そうなっていることすらも
当たり前になってしまう。
強要に繋がる環境になれば、
最終的には
その水面下に流れている
無意識の思考が力を持ち、
誰かを破壊することにも容易になる。
そして、
疑問を持った時点で
何でも良いから
行動すること。
違う視点で考える。
自分の目的に気づき、
経験と知識を持てるようになれれば
常に自分にとって本心から最適な環境に
身を置かせて頂くことにもなれるとも感じました。
まだ最高の環境として整っているとは
言えませんが、
今では少しずつ
自分の思いに忠実になれたことで
本心を開ける仲間と
出会えることができました。
お金を頂くことは
感謝をいただくことで
そのためには
感謝をしていただくためには
まずは自分の心で感じられるところから始めて
最大の感謝を伝えることなのだと感じます。
全てを知って
経験したわけでもなく
おこがましいですが、
そう感じられています。
自分を理解するための大きな学びと
様々な場所でチャンスと機会を頂き
経験をさせて頂いたことで、
現在の日本の企業の在り方や姿勢を
感じられる機会に、大変感謝しています。
まだまだ広い世界へ出て、
知らなくて怖いことでも
やりきって感じきる自分で。
まだまだこれから。
心の底から笑って
泣いて
心震わせて
真心を表すお金という宝石を
大切に出会った皆さんに還元できるように
もっと考えていこうと思っています。
本当に出会ってくださった
皆さんありがとうございます。
また新しい出会いへ
飛びます。