おはようございます。
冷蔵庫の白菜が少し茶色っぽくなっている部分あり。
全部食べて整理しよう。
白菜、もやし、ピーマンで500グラム。
炒めると縮みますね。
あとから色あいをよくするようニンジンも入れました。
これが一人前ですね。
でも500グラムだとこうなります。
これで一日に必要な野菜量はOK.
なるだけ少量のサラダ油でいためて水分がでてしんなりしたら片栗粉でとじてごま油。
味付けは顆粒の中華調味料と醤油。
調味料を多めにして醤油は少し。
さてこれから車で東京文京区の関口教会まで。
(やきそばも千葉。ハンバーグも千葉。千葉ランチです)
ミサが終わったら雑司ヶ谷霊園までいき成毛家の墓の草むしり。
たぶんかなりひどい状態だと思います。
お昼は車の中でアラビヤン焼きそばとチキンハンバーグ。
ハンバーグやきそばにします。
外でお金を使わないようにネ。
大汗をかくだろうし着替えとギャツビーをもっていきます。
それとたくさんの飲料。
祖父の命日には池ノ上教会の方々がお祈りに来てくれています。
曾祖母、祖父母、父、父の姉、叔母が眠っています。
叔母や大阪の叔父もお祈りに来ます。
私は墓守なのできれいにしておかなくては御先祖様に申し訳ないですね。
まあ、成毛家はプロテスタントなので御先祖様とは呼ばないですが。
祖父は私が中学3年のときに帰天しました。
成毛家は循環器系が弱いのでそっち系でした。
真夏の暑い日に祖父は聖書を配布し奉仕していました。
すると知り合いと偶然出会ったので喫茶店に行こうということになりました。
祖父は明るい人でよく笑いました。
喫茶店で声をあげて笑ったらそのまま倒れてしまい天国へと召されました。
そして高校生の私に一生懸命にイエズス様のことをつたえようとしてくれた祖母も眠っています。
ある日、章浩ももう大人の話しがわかる年齢になったのだから聖書の時間を持つようにと祖母は熱心でした。
祖母は日本橋の呉服問屋の5階に住んでいた。
たった一人で住んでいた。
まあ朝になれば社員が出社してくるのだけれども。
4階に使っていない部屋があった。
事務所かなんかだった小さな部屋だ。
祖母は聖書を読み、自分の体験を話してくれた。
あんなに真剣な祖母を見たことはなかった。
祖母は高校生の私に聖書の言葉を伝えた。
「神はあなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、
試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
祖母は私に言いました。
神は絶えられない試練をお与えにはならない、かならず突破口を用意してくださっていると。
自らの体験を話してくれました。
なんとか私が神様を信じるように一生懸命だったのです。
でも自分は大学にはいると教会にはまったくいかなくなり遊び惚けていました。
ずっと教会から離れてしまうともう行きづらくなりました。
そして祖母は亡くなりました。
30代になっていろいろ悩みがありドイツに行けば変われるのではと思いました。
フランクフルトで迎えた朝は日曜日でした。
町には人影も少なく静かでした。
自分はフランクフルトの町をあるきいろいろ見ていたのですが、一斉に360度サラウンド音響という感じで
あちこちの教会の鐘がなり響き、あちこちの教会から礼拝やミサにあずかっていた人たちが出てきて
町はにぎわったのです。
日曜日には教会に行くということが当たり前の社会を見て衝撃を受けました。
でもキリスト教を信じるという気持ちではなかったのです。
そんな僕も阪神大震災があった頃に心からイエス様を求めるようになり、プロテスタントとカトリックの教会、両方の
教会に行っていました。
自分はどちらの教会に行ったらよいのかわからなかったのです。
このあいだも書いたけど神父様の目をみて信じることにしたのです。
門馬神父様ですね(笑)
翌年に僕はカトリックの洗礼を受け毎週ミサにあずかっています。
今の私も小さな悩みがあります。
でも祖母が私に伝えたようにイエズス様はそういった悩みの中にあってもすでに突破口を用意してくれているのです。
綺麗になった墓前で祖母に祈ろう。
そしてハンバーグやきそばを喰うのだ(笑)
では行ってきます。
ああ、そうそうダイエットは大失敗に終りました。
昨日、ドカ食いは避けたつもりが2キロアップしていたので今週は2キロ以上減らさないとなりません。
ではよい日曜日を。