1970年
氏家は無名ながら未完の大器といわれた。学生服に運動グツをはき、いかにも高校生スタイル。容ぼうも、あどけなさがやけに目立った。記者会見で報道陣の後ろからのぞき込んでいた父親充夫さん=新日鉄名古屋勤務=母親よしいさんがいかにも心配そうだったのが印象的。「若い投手がまたはいりました。地元ということでなく、十分期待出来る投手です」小川球団社長のことばを神妙に聞いていた氏家。心境を聞かれ「気持ちが非常に楽になりました。気持ちの整理が出来たからです」と顔つきとは違い、ハキハキと答えた。ドラフト会議第一位指名、十二選手の中ではもっとも無名の選手。甲子園大会どころか、中部大会にも出場したことがなく、最高の成績が今春の愛知県大会で準決勝進出というから無理もない。「春の中部地区予選で名門中京と当たって、ロッテの一位に指名された樋江井と互角に投げ合うピッチング内容。フォームが安定しており、将来性は樋江井以上と思った。未完成ではあるが、将来中日を背負って立つ大型投手になると思う」山崎スカウトは氏家を見出したいきさつをこまごまと説明していたが、その語調は自信たっぷりだった。無理のないフォームからのスピードボールは高校生離れしているといわれる。カーブがまだ覚えたてだという未完成さも魅力の一つといわれている。「中日のゲームは夏の大会が終わった後二試合見ましたが、非常に明るいチームだと思いました。とにかく期待されているので一日も早く第一線に出たいと思います」と氏家はきっぱりいい切っていた。「小さいときからほしいと思ったものはどんなことがあっても自分のものにしないかれば承知しない子でした」母親よしいさんはわが子を頼もしそうにながめていたが、無名の選手ほど大成するといわれる中日だけに若い星への期待も大きい。