1978年
異色のルーキーといっていいだろう。なにしろ山形相互銀行は硬式野球部をやり始めてわずか二年。社会人野球の東北大会でも万年1回戦ボーイ。山形県には社会人のクラブはわずか3チームしかなく、山形相銀のエースとはいっても、いってみれば同好会に毛がはえた程度のチームのエースだ。その投手を思い切ってドラフト指名したのは「一日の練習量が一時間半。この少ない練習量のなかでなかなかすばらしいボールを投げる。プロに入ってみっちり鍛えあげれば、意外に早く一軍で投げられるようになる。それだけの素質は持っている」(久保スカウト)という未知の魅力にかけたからだ。サイドよりやや下から腕が出る変則投法。球種はストレート、カーブ、シュートの三種類と少ないが、打者の胸元をつくストレートにはかなりの威力がある。目下83㌔とやや太めだが、同投手のベストは79㌔。ここまで体が絞れれば「早ければオールスター明けにも使えるんではないか」(同スカウト)職場結婚した奈津子夫人(24)を伴っての入団発表。「生活がかかっていますし、とにかく来年一年で一軍に上がれる土台を作り上げたい。目標は阪急の山田、それに阪神の上田投手です」安定した銀行員生活を捨て、実力の世界へ飛び込んだ青木には生活臭がプンプンしていた。