1997年
昨年秋の関西学生リーグで6試合に登板、4完封を含む無傷の6勝、防御率0.64という圧倒的な戦績でMVP、最優秀投手に輝き、近大完全優勝の立役者になった右腕エース。対立命戦では9回2死までノーヒットノーランの快投も演じている。大学通算22勝7敗。関西学生球界の№1投手がMAX147㌔の速球に鋭いフォークをひっさげてのプロ入り。平成2年、近大から日本ハムに入団しいきなり10勝をマークした酒井の数字に肩を並べることが出来るか、楽しみなデビューだ。

1998年

4月16日の西武戦でルーキー一番乗りとなる完封勝利を挙げ、周囲を驚かせたのは記憶に新しい。名門・近大で鍛えられあげられた制球力、配球の鋭い読みは即戦力として期待どおりの働きだった。それがその後プッツリ白星から遠ざかっていったのは何故か。好投が報われなかった時もあったが、「新人に負けてたまるか」という相手打者の強烈なしっぺ返しは予想以上に厳しかった。経験を積んだ2年目こそ、この借りを返したい。

1999年

イースタンではチーム最多の7勝、124回を投げて着実に足場を固めたが、その顔に悔しさもにじんでいる。一軍戦2試合の登板では伸び盛りの今井にとって物足りなさを感じたことだろう。一球の恐ろしさを身を持って経験したのは10月2日の西武戦。不慣れなリリーフとは言え、勝負どころでマルティネスの2ランは痛かった。ファームでくすぶるような右腕ではない。それこそ主戦に食い込むくらいのギラギラした輝きが見たい。

2000年

落合とともにお立ち台に上がったルーキー時代が懐かしい。平成9年4月16日西武戦(東京D)、プロ初勝利を鮮やかな完封で飾っている。あれから3年、プロ通算が脚光を浴びたあの1勝のみに終わっていることが気になる。8月20日ダイエー戦(福岡D)では中継ぎとして5奪三振の力投を見せながらも与えた5四球がそのまま失点に結びついている。昨季一軍戦16回2/3を投げて16四球。まず1イニングに1度のペースで与えてしまっている
四球の数を減らしたい。守っている野手から信頼されるようなリズム良いピッチングを見せたときこそ、自ずと白星もついてくるはずだ。

2001年

平成9年のシーズンを今でもよく思い出す。ルーキーとして颯爽とデビューしたドラフト1位の矢野と2位の今井の伊予怪腕コンビが織り成した将来への明るい展望は、まさにバラ色だった。その両雄が揃って翌年からプッツリと暗い低迷の道を歩んでしまおうとは、正直思いもしなかった。時に今井だ。打者をうち取る一流のテクニック、ダブルプレーが欲しい場面では注文通りにキッチリはめ込んだ右腕もここ数年は思い通りにいかず、もがき苦しんでいる。ここでひるむ訳にいかない。イバラの道を歩んだ苦い経験を笑顔で振り返られるような、そんな充実したプロ5年目にして欲しいものだ。

2002年

昨年も一軍のマウンドを踏むことができなかった。イースタン戦15試合に登板し防御率7.88…。平成11年を最後に鳴りを潜めてからもう数年の歳月が流れようとしているが、そんな今井にもひとつの転機が訪れている。シーズン中盤からはプロ入り5年目にして初めてサイドスローに挑戦し「なりふり構わず生き残りたい」男の執念が伝わってくる。10月13日コスモス・リーグのダイエー戦(鎌ヶ谷)では横手投げから特徴を十二分に生かした味のある内容で2回を無失点に抑え笑顔が戻りつつある。これも遅まきながら勝利に貢献できた明るい材料だ。自らのプライドをかなぐり捨て、今井が捨て身の反撃に出ようとしている。