1962年
混血児の施設として知られる神奈川・大磯のエリザベス・サンダース・ホームから十五歳の混血児・土山佳晴君が読売巨人軍に練習生として入団した。プロ球界に混血児選手が登場したのはこれが初めて、巨人軍の多摩川合宿に参加して毎日二軍選手たちと練習に励んでいる。ユニホームは着ていても練習生なので背番号はまだない。今のところバットをかたづけたり、ボールを集めたり、というマスコット・ボーイだが、もうグラウンドの人気者になっている。土山君が野球を始めたのはエリザベス・サンダース・ホームに入ってから。若林忠志さん(元阪神)が指導するサンダース・ホームの野球チームではショートを守り、チームの中心として活躍していた。大の巨人ファンで、テレビで試合をみているうち、将来は野球選手になろうと決心したという。若林さんの紹介で正力松太郎氏を通じて、この七月下旬巨人軍に入団したもの。慎重1メートル63、体重50キロ。足の大きさは十一文半と年齢に似合わず大きい。「野球選手としての素質はいまのところ分かりません。これから4~5年みっちりきたえて選手としての体をつくり、それから試合にだしていきたい。性格は明るく、合宿所ではすっかり、みんなともなじみました。私には二人の息子がいますが、まあもう一人息子がふえたようなものです」親代わりとなって面倒をみている武宮敏明コーチの話。

1969年

元読売の練習生だった土山佳晴(22)の回想では、「ホームの外へ出ちゃいけないし、遊ぶ場所も、男の子と女の子は別だった。木登りもシカられた。ガラスを割ったり、喧嘩も楽しいことだった。すると園長は怒った。怒ると、近くにあるものをつかんでぶった。そのうえご飯抜きで部屋に閉じ込められる。喧嘩をすれば、三日ぐらいご飯をもらえなかった」土山君は現在、静岡県の清水でトラック運送に従事するかたわら、沢田さんによれば「私の相談相手」になり、昔の仲間の就職の面倒を見てもいる。土山君に限らず「どの子も、親とか家庭という、人間としての当然の組織を知らないから、ワクをはめないと本能のままになる」危惧もあり、きびしくなったようである。

1982年

印象深いのが練習生の土山。彼は亡くなった沢田美香さんが運営していたエリザベス・サンダースホームの出身で、2千本安打を達成し昭和名球会入りした柴田の大恩人でもある。というのは柴田も、プロの水は厳しく、37年のペナンとレース開幕早々投手失格となり、当時監督だった川上さんは、柴田をショートにしようと考えた。二軍にやってきた柴田は、たまたま二軍でショートを守っていた土山とともに練習することになったが、ノックをしてみると、フィールディングは土山のほうが断然うまい。結局、練習生よりヘタでは話にならないということで柴田は外野に回った。柴田が土山よりうまくて、将来柴田がショートを守ることになったとしても、柴田はロクなショートになれなかったろうし、名球界入りもなかったろうと確信しています。